あー、最惡、最惡、もう、ムカつく相手
私は一昨日の相手の事を、搔い摘んで話した。
だつたら切ればいいぢやないですか
彼は私と似てゐる、解答
その部屋に二つある机の、狹い方で愚癡を零す。突つ伏したら行儀が惡いとピシャリと言はれ、二人分の茶が運ばれた。
もう一つの、彼の勉强机は、不揃ひのコピー用紙で埋まつてゐる。ベッドの周りには本が積まれ、脫ぎ散らかした上著が何著か、くたつとなつて端の方に掛つてゐた。彼の文面は整然としてゐるが、部屋は世の獨身男竝に、雜然としてゐた。
掃除機、買つたの?
まだですよ
そもそも掃除機を掛ける場所
お茶を飮む橫顏はまだ幼さが殘つてゐて、太い、黑緣の眼鏡が、私はあまり好きでなかつた。多分、初戀——それが戀であればだが——人生で唯一の戀人だつた男に似てゐるからだ。何の因果か年齡
ジュンちやんも意外とケチだよね。安くなつた時にしか買はないつて、それ、いつまで經つても買へないパターンだよ
私はそれで五年も電子レンジを買へてゐない男を知つてゐる。
それが一番合理的なんです
それで五年も買へなかつたらさ、多分、それは要らないものなんだよ
彼はジュンロと名乘つたが、實際に會ふ段になると、本名で呼ばれたがつた。私はジュンと呼んでゐたが、本名もジュンがついてゐて、だからこのままでいいぢやない、と私は言つた。一方で私には本名の開示を求めないどころか、半年經つた今でも、律儀にミルキーさん、と口走る事もあるくらゐだつた。
今日は冷房、入れてるんだ
昨日より二度も高いですし、體溫の管理は、大切ですから
その視線は、何となく、私の胸元にいつてゐる氣がする。彼が女體のどの部位が好きかなんて、聞いた事は無い。思へば、この男とはあまり浮れた話をしてゐない——できないといふか。
私と彼との關係は、性質としてはメル友に近く、通話よりも長文メッセージのやり取りが主體だつた。彼の本分がまづ、長文になつてしまふらしい。かといつて卽時
彼が會はうと言出したのも話し合つてみたかつたからだ。眞面目くんなもんだから、私の快樂主義的な人間關係
おつぱい、好き?
さう言つて微笑
別に、どこも好きぢやありません
ぢや、全部好きつて事なんだ
好きぢやないつて
彼は私が誘つた時從順だつた、本當に意外と。いつも自分からは誘はないのだけれど、彼の性格からいつて、絶對誘つてはくれなささうだつたから。でも眞正面から言ふのは、やつぱり應へた、相手は年下だし。
糞眞面目な彼が誘ひに應じる意義、そんなものは知らないけれど、同じでせう、性欲處理。
順
なんて事のないキス、私はいつも眼を瞑つてゐて、たまに薄
セックスする時くらゐ、眼鏡外したら
僕の視力は〇・〇二なんです、間近でも顏が見えないんです
あたしのブサイクな顏なんて、見なくていいでしよ
眼鏡に手をやると、手に手をやられ、私は仕方無く引つ込めた。このプラスチックの感觸が嫌ひ、硬くてつるつるして冷たくて……、思ひ出してしまふ。
彼は私の首筋に口附け、二人してベッドに倒れ込む。
どうして——。何だつけ、初めてした時、言はれた言葉。中々美味
彼は私の文面を思ひ浮べてゐたのだと思ふ、でも違ふの、これが私、今あなたが觸れてゐる私が、生身
……
私はあまり聲が出る方ではない。演技もできない。だから率直に言葉で傳へようとするのだけれど、どこか官能に缺ける氣がする。氣持いいよ、もつとして、さう傳へたいだけなのに、何囘セックスしてみても、これだけは上逹しないでゐる。
叮嚀に女を扱ふのが彼の流儀らしいが、私が要望を出すと、二囘目
彼が押したり、私が引いたり、ぶつかつて、まるで餠
……
彼が容態
私はいいよ、と言つた。
あなたは、どうなんです、……
あなたの力量ぢや無理よ、お馬鹿さん。私は別に、どうでもいいから——
氣持よくなりたくて、切望して、漸
いいの……
私もなんて、そんな噓、とつても吐けない。下手なセックス已上に、噓のセックスは最低
一通りが終つて、ベッドに橫になり、彼も私の隣に橫たはつた。
彼は腕枕をしたり、抱寄せたり、背中を撫でたり、なんて甘い事はしなかつた。意義が無ければしない、女には酷く刺さる態度を貫いた。不器用、いや、硏がれ過ぎた刄物
……
……え?
やつつけないと、氣が濟まなかつた。
あんな事しないで下さいよ
息が整ふと、彼は言つた。
なにが?
加減してくれれば、ちやんとできたのに……
またしたかつたの?
あなたが氣持よくないぢやないですか
ふゥ、と笑ふ。
あたし、今のでも充分昂奮してるわよ。悶えてるあなた、かはいかつたし
それぢや僕にもあなたにも公平
ふん、フェアとかなんとか……さういふのは、もつと上手くなつてから言ひなさいよ
ああ、言過ぎちやつたかな。怒られる前に、ベッドからすり拔ける。尤も、彼は暴力に賴つたり、怒號を飛ばしてくるタイプではなかつたが。——とはいへ、本氣で怒らせた事は無い。
あなたが、協力的でないから
まあね、それは、認めるわよ。でもあたしはこれで滿足してるし、あんただつて最後までしてるんだから、いいぢやない。上手くなりたいなら、もつと積極的な先生を見附けなさいよ
私にはこれくらゐしか當て附けやうが無い。
あー、おなかすいた
食事をするなら、シャワーに入つてからにしてください
言はれなくてもよ
溫
浴室を出ると、机にはコンビニ辨當と、卽席の味噌汁カップが二つあつた。
なんだ、あんたあ、人にはシャワー入つてこいつて言つておいて、セックスした體でコンビニなんか行つてたの?
……
でもありがと、すぐ食べたかつたんだ、ありがとね
氣遣はせてごめんね、と言ふと、いいえ、と短い返事。
シャワー、浴びてきなよ。あたし待つてるから
いいですよ。先に食べててください
……眼を瞑つて、彼が出てくるのを待つ。うつかりしてゐると、そのまま寢てしまひさうだ。ああ。もう一囘ベッドで橫になりたい。でもお腹も空いてるし、何か輕く口にできるものでもあればいんだけど、勝手に冷藏庫を開けるわけにはいかない。後がうるささうで。代りに味噌汁のカップの封を切つて、いつでも入れられるやうにしておいた。辨當は、溫
先に食べてて良かつたのに風呂から上がつてくると、彼は言つた。
お辨當、あつためる?
いいです。それよりあなたは、服を著てください
……はいはい
私がシャツとズボンを身に附けてゐる間に、彼は味噌汁を溶
食卓は靜かだつた。味噌汁を吸ふ音、咀
お腹は何とか滿たされ、それから、それから……する事も無くなつた。ジュンと逢ふ時は、本當にセックスする時だけだ——どこかに行かうとか、あれしたい、これしたい、冗談めかした事一つも無かつた。かうしてみると、彼と私とはえらく希薄だと感じる。
その裏に積重ねた言葉があるとしても。觸合へる總てが眞實ではないにしても。寂しく、冷たい。
あたし、歸るわ
さうですか
雨がベランダを打つてゐた。燈
私は押戾した椅子をもう一度引いて、坐り直した。
彼の睫毛が、私に瞬
もう逢ふの、やめませうか
……え。
どうして、なんで、理由はなんです
あつさり承諾すると思つてゐただけに、その樣子が意外
見込みが無いから
なんの? セックスの?
寧ろ、セックスしかないんぢやない?
それは、あなたが——さつき言つてゐたぢやないですか、自分は今のままで滿足だつて、だのに、
んー、私のセックスつていふのは、體だけぢやなくて、やつぱり人同士の樂しさつていふか……あたしとあんたつて、會話繫がらないぢやない、正直
そんな事……
勝つのはいつだつて口
やつてても樂しくない
……僕は
氣持いいのと、樂しいのつて違ふの、多分、あなたも分つてると思ふけど。虛しいでせう? いつも
滿足感が無い、安心感が無い、目が覺めたら何しよう、つていふわくわくが、想像が無い、それでセックスなんて、できるか? 關係を、維持したいと思ふか?
あたしは思はない、もう、續けたくない
彼は默つてゐた、耳朶
とにかく、あたしはあなたと逢はないよ
床にぐづぐづになつてゐた上著を取る。ぢや、今まで、ありがと、それは本當に、思つてる
待つてくださいよ!
彼はまた珍しく——。思考の間
どうして——あなたつていつつもさうだ、一方的に、終らせて
うん?
僕が、がんばる……解決する、その努力も、改善も、何も聞かずに、去つていく!
あのねえ、ジュンくん、ここは學校でもないし、會社でもないのよ、一方が逢ひたくないつて言つたら、人間關係はそれで終り! あんた、これ已上執著するなら、ストーカーよ
そんな勝手な!
勝手なのが人間關係
だから……、僕には提供
それ、附合つてるうちに示せないと、意味無いの
あなたが不平を洩らさなかつたから
ああ、でも、私は解決なんて望まなかつた、それすら望まなかつた、もう最初つから、手の込む解決とやらをするなら、あなたと訣
酷い! あなたは酷い!
ふ、ごめんね、ほんと、私つて酷い女だ
あなたはさうやつて氣取つて、人を傷附けて、自己像を滿足させる
かもね、でも、同じくらゐ、私は人との關係に貪慾なの、求めてしまふものなのよ
ジュンくん
私が兩の手で燃えるやうな頰を包込むと、彼は嚴
ゆるさない
ゆるさない? だつたらどうする? あなたはあたしと何がしたいの?
彼は手首を摑んだまま私を押した、とびきりこはかつた——本當にバチンと、勢ひよく頰を張られさうで。私は恨みを買ふよりも、暴力を振るはれる事の方が、ずつとこはかつた。
出て行つて、出て行つてください……!
無理矢理押しやられ、足元がぐちやぐちやになつたまま、私は外に追はれた。ああ——その烈
これだから人の激情には耐へられない。應へる。……
私つて惡い女かしら、なんて未だに考へてしまふ。うーん、惡い女だつた、惡い女だつた……だつて、合はなかつたんだもの。それつて、自然で合理的な選擇ぢやない? これつぽつちも自分が惡いだなんて、思つてやしない。それどころか、淸々してゐる。
あれ已來、ジュンからメッセージが來た事は無い。そりやさうだ、削除したんだから。あの日、——一昨日のさいてーな男と一緖に。同列だとは思はない。でも、二人して合はなかつたといふのは同じで、最早解決の見込みが無い事は、彼らにも私にも分つた事だらう——私はやると言つたらやる女だ!
なにしてんの
ぼーつと、スマホの畫面を見てゐたら、聲が掛つたので、私は畫面をロックして、椅子に抛
こわ
私が附合ふ男といふのは、つくづくどうしやうもなくて、でもとんでもなくかはいらしい部分があつて、たまらなかつた。だからついつい、手が出てしまふ。——だめだな、それ、典型的な浮氣人間
ダルちやんも、すぐお墓に入れてあげる
んー、おれは鳥
そこはあたしに食べられたいつて、言つてよ
やだよきもちわるい
あたしはきもちわるくて、鳥さんにはいいんだね
いやなものは、いやだからね
……うん、道
ぎゆ、つと、足元にもたれ掛つた、大きな大人
このこどうは、いまここにいきてゐるぞ。
それを今
君といふかはいさに觸れられれば、今は、それで。