キリのピンキリ

がはははは。

ほんと、もうね、百人くらゐやつちやつたかも

きりちやんやるうー

さつきから後ろの席でがわらわら、耳障りで仕方が無かつた。くそ。氣紛れで寄つた居酒屋、やつぱり居るのは醉つ拂ひとすいきやうだけか。

食べたのはお通しと輕い揚物だけだつたが、今の私にはそれで充分だつた。ちよつとは咲いた、變つたメニューへの好奇心も、背後の戲言で、いとも容易く消し飛んでしまつた。今は胃に重いものしか殘らない。

席を立つのと同じタイミングで、その男食らひとばつたりしてしまひ、輕く頭を下げて、私は橫をすり拔けた。

ごちそうさま

會計は二千圓にものぼらなかつた、まあ、お財布にはやさしかつたよ、心には毒を盛られた氣でゐるが。

ふらふらと夜の交差點を拔け、小さな公園に通り掛つた。何か輕く甘いものを引つ掛けたい氣分ではあつたが、どこに寄る氣も起きない。

夜の公園は靜かで、こんな都會でも、微かに蟲の聲がした。ブランコに腰を落すと、すみつこの自動販賣機が眼に入つた。あー入る時に買へば良かつた、あそこまで行つて戾るのめんどくさい……。滑り臺、ジャングルジム、鐵棒、砂場――不意に、高いところに坐つてみたいといふ氣持に驅られた。ああ、ジャングルジム、いいかな。でも、あそこに體を突つ込んだら、頭をごつんとぶつけさうだ。それ已前に、私の體が入るとは思へないが――さういへば、小さい頃、卽席のジャングルジムのおもちや、ねだつたつけなあ。竹を模した綠のプラスチック製で、入口のシートにアニメのキャラクターがプリントされてゐて、本物と變らない程に、かなり場所を取つたはずだ。親もよくあんなものを買つたものだ。……

あ、ちよつとちよつとー

私は聲のした方を向いた。見ると、通りから、人影が近附いてきた。思はず身構へる。さうして外燈の下に出てきたのは、なんとあの百人斬り女だつた。

あの、お……ねえさん

言葉の迂囘に私は恥を覺え、また女に憤りもした。睨みつけてしまつたであらうが、彼女は愛想が良かつた。

これ、落しませんでした?

さう言つて差出したのは、私の小錢入れだつた。ああ。とつに鞄の中をあらためると、確かに小錢入れが無かつた。中身を確認する。入つてゐるのは小錢ではなく、カード類、身分證明の類だ。

ありがたう。なくなつてるものはないみたい

そりや、すぐ拾つてきましたからね

女は隣のブランコに腰掛けた――ここからでも酒臭いつて分る、確か二十歲とか言つてたつけ、くう、酒を覺え始めてこれか。

ごめんなさいね、お友逹と飮んでたんでせう

ああ、いいの。わたし、ちやうど歸らうかなつて思つてたから――だつて、女とのみくわいするより、男とセックスしてた方が樂しんだもん、でしよ

でしよ、つて言はれても。

初對面の人間に性慾をひけらかす女を、不快には思ひつつ、一方でその思ひ切りの良さを羨ましく思ふ。初對面どころか、公衆の場でセックスの功績をひけらかすやうな女。

あたし、おれいできないや――隅の自販機を見る、何か醉ひ醒ましに飮みませうか?

いいよ

そのいいよ、は飮むといふ事なのか、斷つてゐるのか。よく見れば、この女、手ぶらではないか。醉つ拂つて置いてきた? すぐ拾つてきたといふのは、そのままの意味かもしれない。

あなた丸腰みたいね、大丈夫? 家は近いの?

ああ……ああ

女は兩腕を持上げて、やうやく自分が手ぶらな事に氣附いた。……どうしよ

ぢやあ、それでお禮をさせて

私は財布から……、四千圓出した。これで足りるかしら?

女はしわのついた札束を見詰めてゐる。

それともお店に戾りませうか。今ならお友逹、ゐるんぢやないかしら? ……聞いてる?

女は私の顏を見た。照れ臭く、私はその視線をけた。とにかく、受取つてよ私は女に金を押附け、彼女はそれをたたんで、ポケットに入れた。

大丈夫か? 驛に著いた頃には、忘れてゐさうだ。そもそも、驛に辿り著けるか。人通りがあるとはいへ、手足を露出した、醉つた女がふらふらと――寧ろ人通りがあるだけに、餘計心配ではあるが、かといつて彼女を介抱してはいけまい。私だつて、さつさと歸りたいのだ。

四千圓かあ……もうちよつとあれば、ホテル、行けるね

さう、あるいはそれがいいかもね、と思つた。

おねえさん暇なんでせう? わたしと一緖に、ラブホで女子トークしない?

……確かにラブホで女子會、といふのは聞いた事はあるが、それを今ここでするのか? 私とあなたで?

でもどきどきはする、私と性の出會ひなんて專らネットに賴つたもの、オフの偶然で逢つた事は無い、逢ふ氣もさらさら無い。でも、行つて、どうするんだらう?

ブランコの鎖を持つはきれいにネイルされてゐて、眼もぱつちりしてる、酒とは別に良い匂ひもほんのりするし、ふはりとうねつた髮は栗色だつた、こんな手の込んだ女に、私なんて釣合はない、一體どんな偶然があつて、私とこんな小娘くそがき、合ふのだらう。唯一の共通點といへば、男を弄んでゐる事だらうか。いや違ふ、私はそんな、一夜限りの、使ひ捨てみたいな關係は。

でもどうだらうか、今私のしようとしてゐる事、彼女の提供しようとしてゐる事。それは。使ひ捨てできますよ。それはいかにも淸潔に、便利に繕つてゐる、代償も無く、廢棄する時の事など夢のやうな。

私みたいな女でいいんだらうか、

おねえさんからは、わたしと同じ臭ひがする

答への決つてゐる事、彼女は知つてゐる、また私も。


步いて、明るい場所で髮を搔き上げた女は、思つた已上にきれいだつた。別の角度から見た彼女は、OLといふ感じもする、凛とした雰圍氣があつた。でもあの飮會の感じからすると、まだ學生だらう。

部屋に通されると、緊張が高まつてきた。さうだ、彼女は醉つてゐるが、私は素面しらふなのだ。心の底では嬉しかつた。そこそこきれいな、年頃の女に誘惑されて、私の心は躍つてゐる。童貞みたい。でも貪欲さとの經驗の無さでいつたら、本物の童貞に引けを取らない。

長ソファに廣いベッド、大熊猫パンダを模したこくびやく柄のタオルと敷物……彼女が艷やかなピンクの指先で選んだのは、一番高さうな部屋だつた。私はラブホなんて行かないから相場なんて知らない、行つても男に拂はせてたし。一萬圓で足りなかつたらどうしよう。

ソファもあるのに、彼女はベッドの足元にぺたんと坐つて、シャツを脫いだ。ラズベリー色のブラジャーが露になる。すごく率直、すごく大たん。……でも、それが當然の流れのやうな氣がして、私はちよつとをかしくなつた。私たちはもう、遺傳子レベルで、セックスが好きなのかも。

でも觸れるまでは半身半疑だつた、彼女に對する好奇心も、性慾も――私に對する、好奇心と性慾も。

……

私から彼女の頰に觸れた。冷たい。化粧した他人の肌に觸れるなんて、初めてだ。なにをどうしていいかなんて分らない、ぼんやりとした官能の感覺を、なぞつてゐるだけ。私も彼女も男との經驗はたくさんあるけれど、私は男の眞似をしたくはなかつた。たくさんのセックスの方法があつて、私がもし男だつたなら、眞つ先に女に飛込むだらうなと、そんな想像をした事もあつたけれど、實際には私は私の感覺で、彼女を前にし、彼女に觸れてゐた。男だつたらなんて、夢だつた。

彼女は眼を瞑つてゐた、醉ひが醒め掛つてゐるのかもしれない。もし彼女が素面だつたなら、彼女は私を、女を、誘つただらうか? 快感に貪慾なら、好奇心が旺盛なら誘つただらうが、それでも相手は遊び慣れたレズだらうな、と思つた。自分が初心者なら、相手は手馴れた經驗者が良い――でも現實にここにゐるのは、男好きの女が、二人だけ。

彼女が眼を瞑つてゐるのをいい事に、剝ぎ取つたブラジャーのタグを見ると、サイズはD65だつた。D65! Dカップは平均的なカップサイズだとどこかで聞いた事はあるが、それでもアンダーが65なのは恐れ入る。私は中學でブラをつけて已來、70已下だつた試しが無い。65サイズのDカップは、ちやうど私の手に餘るかどうか、だつた。


あん。くすぐつたい

女が弱音を吐いた。何となくじれつたいのは私も同じで、なぜか、初めてセックスした時の事を思ひ出した。でもあの時でさへ私は性急で、早く、急激な刺戟が欲しくてたまらなかつた。私はただ夢に見た體位を取り、相手に何の餘地も與へなかつた。私は擬似的なセックスに夢中になつてゐた、それだけ。

そして私は、生れて初めて、自分已外の――母親已外の、……

……!

聲を上げたのはどちらだつたか知れない。私の方かも知れない。めくるめく刺戟に、どうにもならなかつた。この背德とも取れる感觸に……、私が抗へるといふのだらうか? 泣きたかつた。

童貞が感じたであらう感動と歡喜は、一瞬だつた。

私には、できない。無理よ

冷たい水が飮みたかつた。あいにくと冷藏庫には無く、洗面所の水と紙コップを使つて飮んだ。

さう冷たくもない、藥を薄めたやうな味の水をがぶがぶと飮み、そして口をゆすいでから、最後にまた一口飮んだ。それからトイレに行つて、用を足した。さう、私たち、シャワーにも行つてないんだわ。だが既に重い體に、それを實行する意欲は無かつた。

トイレを出ると、彼女はベッドに上がつてゐた。短いスカートがめくれてゐる。

きて

でも……

いいから

私に、これ已上ができるといふのだらうか? 彼女は毒を含んだ炭酸みたいだつた。まるで……

私はベッドに上がつた。私も脫いだ方がいいだらうか、迷ふが、そんな餘裕は無い。

彼女のさらさらした髮に觸れると、とても甘い香りがした。眠くなる……。

私はいきなり、核心に到つた。他に、良い場所を知らない。私には、彼女の素晴しいたいに突附けられるものは無い。瞬きしてその部分を見るけれども、それがおいしさうに見えるのは、男の視點から、今まさに自分がされようとしてゐるのを、豫感してゐる時だけ。

深入りする程に、彼女と私との差が開いていく。なぜ彼女はこれ程愉快なんだらう? 私との行爲のどこに、そんな源泉があつたんだらう? ……同時に、今自分のしてゐる事が信じられない、俯瞰した人格がどこかにあつた。なぜ私は、かうも平氣にこんな事ができるのだらう?

女はそのままばたんと仰向けに倒れ、私を誘つた。そのものが、私の眼の前にあつた。としかいひやうが無いもの――普段私が男に曝け出してゐるもの――

……やつぱり私には無理よ

私は言つた。

ぢや、わたしがやる

女が起上つた。體にきんきらの寶石がちりばめられてゐたら、まるで異國の女王か何かに見えたかもしれない。

どうしたのよ。脫ぎなさいよ

きつめにとがめられ、私は震へた。私は元より同性に對する耐性が無い上、年下は苦手だつた。別にいぢめに遭つてゐるわけではないが、場合によつてはそんな狀況になつてもをかしくはなかつた。彼女が醉つ拂ひである事を思ひ出し、私はおづおづと彼女の言ふ通りにした。

……、

たつたそれといふだけなのに、これ程緊張するか分らない。今更氣弱になつてどうする?

彼女の眼はわつてゐた。微笑むでもなく、しかめ面といふわけでもない、でも機嫌を損ねるのがこはくて、私は伏目がちに彼女の前に坐つた。私だつて、大してさう違はない、生氣の無い顏附きをしてゐるかもしれない、もう、性慾ががれるくらゐ、げつそりと。

觸るわよ

彼女は遠慮が無かつた――あつさり成遂げた。それ程の衝擊も無く、また衝擊を受ける餘裕すら與へられなかつた。確かに、私は、女に觸れ、女に――でもそれが、こんなものであつていいのか?

あたし……、だめみたい

女では、つてこと?

私はぎゆつと眼を瞑つて、頷いた。彼女にまさぐられるのは、好きではなかつた。それどころか、不快だつた。たぶん、自分でする時と同じやうにしてゐるのだらう、でも――男と同じやうには感じない――本當に異形が自分の中で蠢いてゐるやうで、こはかつた。いくらか氣持良い事だと念じようとした。でも駄目だつた。

だめ、やめて

氣持よくないの?

こはいの。氣持惡いの

でも――

お願ひ

女は引いてくれた。

あなたが氣持惡いつてことぢやなくて……、あたし女ぢや感じないみたい……、

居心地の惡さが自分の中に擴がり、私は自然と膝を抱へ、肉體を隱し、自分を女から守つてゐた。

なめさせてもくれないの?

無理……、できない

なめてさへもゐないのに?

……、

はあーあ。期待外れだわ

期待外れだわ。途端に嫌惡、怒り、失望、墮落、後悔、羞恥、さういつたものが込上げてきた。私、なんでこんな女と來てしまつたのだらう!

そもそもが間違ひだつた……、自責とゑんこんの念とが交錯し、溶け合ひ、私ににじんでいく。

私が動くより先に、彼女は浴室に入つていつてしまつた……、くそ。私はぼろぼろ、泣いた。こんなみじめな氣持になつたの、初めて。

いや、初めてぢやない、これまでだつて幾人か、みじめにさせられてきた事はあつた、でもそれが、今日は女で……、考へたくもない。早く部屋から出て行きたい。

私は急いで衣服を身に附けると、鞄を持ち、扉が開くかどうか確認した。……大丈夫だつた。テーブルのメニューにさつと眼を通し、料金とシステムを確認する。先に部屋を出る事、金は置いておく事、チェックアウト時間をメモ帖にしたため、財布から千圓札の束を出して、灰皿を重りにした。

フロントの時計は、零時半を指してゐた。居酒屋を出た時間も、ここに辿り著いた時間も、覺えてやしない。でも、そんなに長くはなかつた氣がした。たつた數時間の初體驗。

シャワーから出たら相手がゐなくなつてゐました、とはな退散かもしれないが、ほんつとうに、私は關はり合ひになりたくなかつたのだ。自分にレズの素質があるかもなんて、考へた私が馬鹿だつた。やつぱり私には、男しかゐない。

家に歸ると、パソコンを點け、幸せなレズ小說を讀んで、寢た。


はあ……、

どうしたん?

いや……、やつぱり、いいや

なんや氣になる

サイテーな誰かにあたつただけよ

もしあの體驗がハッピーなものであつたなら、つひに女とやつちやつたあーなんて背伸びしながら言ふのだが、實際には痛手を負つただけだ。

しよーもない奴はどこにでもをるからな

あなたとか

どして?

返事してくれないから

そらしよーもないやろ。こつちだつてずつと暇と違ふんやから

やつぱりしよーもないんぢやん

そんなしよーもない會話も、やつぱり男相手でなければなりたないのだ。機嫌を損ねてもどきどきしてしまふこの情緖、かじりついてでもいかうとするこのテンション、女が相手では、かうはいかない。

そしてこの痛手をひらいてこそ、男は釣れるのだ。

實はこの間さあ……


ずつとまみえる日を待つてゐる、愛ほしいさがと。