小說『キリのピンキリ』 ---------------------------------------------------------------------------------------------------- 最終更新: 2020年4月8日 公開: 2018年9月29日 第1版 2018年12月22日 第2版 附錄: 『キリのピンキリ』後書 http://kimitin.sinumade.net/2018/3-atogaki 『キリのピンキリ』HTML版 http://kimitin.sinumade.net/2018/3 『キリのピンキリ』PDF版 http://kimitin.sinumade.net/2018/3-pdf 適用: Creative Commons — CC0 1.0 全世界 http://creativecommons.org/publicdomain/zero/1.0/deed.ja 著・發行者: 絲 letter@sinumade.net http://kimitin.sinumade.net/ ---------------------------------------------------------------------------------------------------- ルビ:|《》 傍點:【】 ---------------------------------------------------------------------------------------------------- ■■■■ 注意事項 ■■■■ ・成人對象[成人対象] — 二十歲以上の讀者を對象とする[二十歳以上の読者を対象とする] ・小說[小説](フィクション) — 實在の事柄とは關はり無し、描寫中の行爲を獎めるもので無し[実在の事柄とは関わり無し、描写中の行為を奨めるもので無し] ・性描寫[性描写] — 性行爲の詳細な描寫[性行為の詳細な描写]を含む ---------------------------------------------------------------------------------------------------- 『キリのピンキリ』  若者の氣に障る言葉に興醒めしたミキは居酒屋を出るが、追つて來たのはその若者であつた。ミキの貴重品を屆けた彼女は、「わたしと同じ臭ひがする」と言ふ。 ・6250字/400字詰原稿用紙・16枚 ---------------------------------------------------------------------------------------------------- キリのピンキリ  がはははは。 「ほんと、もうね、百人くらゐやつちやつたかも」 「きりちやんやるうー」  さつきから後ろの席で|餓鬼《がき》がわらわら、耳障りで仕方が無かつた。くそ。氣紛れで寄つた居酒屋、やつぱり居るのは醉つ拂ひと|醉狂《すいきやう》だけか。  食べたのはお通しと輕い揚物だけだつたが、今の私にはそれで充分だつた。ちよつとは咲いた、變つたメニューへの好奇心も、背後の戲言で、いとも容易く消し飛んでしまつた。今は胃に重いものしか殘らない。  席を立つのと同じタイミングで、その男食らひとばつたりしてしまひ、輕く頭を下げて、私は橫をすり拔けた。 「ごちそうさま」  會計は二千圓にものぼらなかつた、まあ、お財布にはやさしかつたよ、心には毒を盛られた氣でゐるが。  ふらふらと夜の交差點を拔け、小さな公園に通り掛つた。何か輕く甘いものを引つ掛けたい氣分ではあつたが、どこに寄る氣も起きない。  夜の公園は靜かで、こんな都會でも、微かに蟲の聲がした。ブランコに腰を落すと、|隅《すみ》つこの自動販賣機が眼に入つた。あー入る時に買へば良かつた、あそこまで行つて戾るのめんどくさい……。滑り臺、ジャングルジム、鐵棒、砂場——不意に、高いところに坐つてみたいといふ氣持に驅られた。ああ、ジャングルジム、いいかな。でも、あそこに體を突つ込んだら、頭をごつんとぶつけさうだ。それ已前に、私の體が入るとは思へないが——さういへば、小さい頃、卽席のジャングルジムのおもちや、ねだつたつけなあ。竹を模した綠のプラスチック製で、入口のシートにアニメのキャラクターがプリントされてゐて、本物と變らない程に、かなり場所を取つたはずだ。親もよくあんなものを買つたものだ。…… 「あ、ちよつとちよつとー」  私は聲のした方を向いた。見ると、通りから、人影が近附いてきた。思はず身構へる。さうして外燈の下に出てきたのは、なんとあの百人斬り女だつた。 「あの、お……ねえさん」  言葉の迂囘に私は恥を覺え、また女に憤りもした。睨みつけてしまつたであらうが、彼女は愛想が良かつた。 「これ、落しませんでした?」  さう言つて差出したのは、私の小錢入れだつた。ああ。|咄嗟《とつさ》に鞄の中を|檢《あらた》めると、確かに小錢入れが無かつた。中身を確認する。入つてゐるのは小錢ではなく、カード類、身分證明の類だ。 「ありがたう。なくなつてるものはないみたい」 「そりや、すぐ拾つてきましたからね」  女は隣のブランコに腰掛けた——ここからでも酒臭いつて分る、確か二十歲とか言つてたつけ、くう、酒を覺え始めてこれか。 「ごめんなさいね、お友逹と飮んでたんでせう」 「ああ、いいの。わたし、ちやうど歸らうかなつて思つてたから——だつて、女と|飮會《のみくわい》するより、男とセックスしてた方が樂しんだもん、でしよ」 “でしよ”、つて言はれても。  初對面の人間に性慾をひけらかす女を、不快には思ひつつ、一方でその思ひ切りの良さを羨ましく思ふ。初對面どころか、公衆の場でセックスの功績をひけらかすやうな女。 「あたし、お|禮《れい》できないや——」隅の自販機を見る、「何か醉ひ醒ましに飮みませうか?」 「いいよ」  そのいいよ、は飮むといふ事なのか、斷つてゐるのか。よく見れば、この女、手ぶらではないか。醉つ拂つて置いてきた? “すぐ拾つてきた”といふのは、そのままの意味かもしれない。 「あなた丸腰みたいね、大丈夫? 家は近いの?」 「ああ……ああ」  女は兩腕を持上げて、やうやく自分が手ぶらな事に氣附いた。「……どうしよ」 「ぢやあ、それでお禮をさせて」  私は財布から……、四千圓出した。「これで足りるかしら?」  女は|皺《しわ》のついた札束を見詰めてゐる。 「それともお店に戾りませうか。今ならお友逹、ゐるんぢやないかしら? ……聞いてる?」  女は私の顏を見た。照れ臭く、私はその視線を|避《よ》けた。「とにかく、受取つてよ」私は女に金を押附け、彼女はそれを|疊《たた》んで、ポケットに入れた。  大丈夫か? 驛に著いた頃には、忘れてゐさうだ。そもそも、驛に辿り著けるか。人通りがあるとはいへ、手足を露出した、醉つた女がふらふらと——寧ろ人通りがあるだけに、餘計心配ではあるが、かといつて彼女を介抱してはいけまい。私だつて、さつさと歸りたいのだ。 「四千圓かあ……もうちよつとあれば、ホテル、行けるね」  さう、あるいはそれがいいかもね、と思つた。 「おねえさん暇なんでせう? わたしと一緖に、ラブホで女子トークしない?」  ……確かにラブホで女子會、といふのは聞いた事はあるが、それを今ここでするのか? 私とあなたで?  でもどきどきはする、私と性の出會ひなんて專らネットに賴つたもの、オフの偶然で逢つた事は無い、逢ふ氣もさらさら無い。でも、行つて、どうするんだらう?  ブランコの鎖を持つ|指《て》はきれいにネイルされてゐて、眼もぱつちりしてる、酒とは別に良い匂ひもほんのりするし、ふはりとうねつた髮は栗色だつた、こんな手の込んだ女に、私なんて釣合はない、一體どんな偶然があつて、私とこんな|小娘《くそがき》、合ふのだらう。唯一の共通點といへば、男を弄んでゐる事だらうか。いや違ふ、私はそんな、一夜限りの、使ひ捨てみたいな關係は。  でもどうだらうか、今私のしようとしてゐる事、彼女の提供しようとしてゐる事。それは。使ひ捨てできますよ。それはいかにも淸潔に、便利に繕つてゐる、代償も無く、廢棄する時の事など夢のやうな。 「私みたいな女でいいんだらうか、」 「おねえさんからは、わたしと同じ臭ひがする」  答への決つてゐる事、彼女は知つてゐる、また私も。  步いて、明るい場所で髮を搔き上げた女は、思つた已上にきれいだつた。別の角度から見た彼女は、OLといふ感じもする、凛とした雰圍氣があつた。でもあの飮會の感じからすると、まだ學生だらう。  部屋に通されると、緊張が高まつてきた。さうだ、彼女は醉つてゐるが、私は|素面《しらふ》なのだ。心の底では嬉しかつた。そこそこきれいな、年頃の女に誘惑されて、私の心は躍つてゐる。童貞みたい。でも貪欲さと“女”の經驗の無さでいつたら、本物の童貞に引けを取らない。  長ソファに廣いベッド、|大熊猫《パンダ》を模した|黑白《こくびやく》柄のタオルと敷物……彼女が艷やかなピンクの指先で選んだのは、一番高さうな部屋だつた。私はラブホなんて行かないから相場なんて知らない、行つても男に拂はせてたし。一萬圓で足りなかつたらどうしよう。  ソファもあるのに、彼女はベッドの足元にぺたんと坐つて、シャツを脫いだ。ラズベリー色のブラジャーが露になる。すごく率直、すごく大|膽《たん》。……でも、それが當然の流れのやうな氣がして、私はちよつとをかしくなつた。私たちはもう、遺傳子レベルで、セックスが好きなのかも。  でも觸れるまでは半身半疑だつた、彼女に對する好奇心も、性慾も——私に對する、好奇心と性慾も。 「……」  私から彼女の頰に觸れた。冷たい。化粧した他人の肌に觸れるなんて、初めてだ。なにをどうしていいかなんて分らない、ぼんやりとした官能の感覺を、なぞつてゐるだけ。私も彼女も男との經驗はたくさんあるけれど、私は男の眞似をしたくはなかつた。たくさんのセックスの方法があつて、私がもし男だつたなら、眞つ先に女に飛込むだらうなと、そんな想像をした事もあつたけれど、實際には私は私の感覺で、彼女を前にし、彼女に觸れてゐた。「男だつたら」なんて、夢だつた。  彼女は眼を瞑つてゐた、醉ひが醒め掛つてゐるのかもしれない。もし彼女が素面だつたなら、彼女は私を、女を、誘つただらうか? 快感に貪慾なら、好奇心が旺盛なら誘つただらうが、それでも相手は遊び慣れたレズだらうな、と思つた。自分が初心者なら、相手は手馴れた經驗者が良い——でも現實にここにゐるのは、男好きの女が、二人だけ。  彼女が眼を瞑つてゐるのをいい事に、剝ぎ取つたブラジャーのタグを見ると、サイズはD65だつた。D65! Dカップは平均的なカップサイズだとどこかで聞いた事はあるが、それでもアンダーが65なのは恐れ入る。私は中學でブラをつけて已來、70已下だつた試しが無い。65サイズのDカップは、ちやうど私の手に餘るかどうか、だつた。 「あん。くすぐつたい」  女が弱音を吐いた。何となくじれつたいのは私も同じで、なぜか、初めてセックスした時の事を思ひ出した。でもあの時でさへ私は性急で、早く、急激な刺戟が欲しくてたまらなかつた。私はただ夢に見た體位を取り、相手に何の餘地も與へなかつた。私は擬似的なセックスに夢中になつてゐた、それだけ。  そして私は、生れて初めて、自分已外の——母親已外の、…… 「……!」  聲を上げたのはどちらだつたか知れない。私の方かも知れない。めくるめく刺戟に、どうにもならなかつた。この背德とも取れる感觸に……、私が抗へるといふのだらうか? 泣きたかつた。  童貞が感じたであらう感動と歡喜は、一瞬だつた。 「私には、できない。無理よ」  冷たい水が飮みたかつた。あいにくと冷藏庫には無く、洗面所の水と紙コップを使つて飮んだ。  さう冷たくもない、藥を薄めたやうな味の水をがぶがぶと飮み、そして口をゆすいでから、最後にまた一口飮んだ。それからトイレに行つて、用を足した。さう、私たち、シャワーにも行つてないんだわ。だが既に重い體に、それを實行する意欲は無かつた。  トイレを出ると、彼女はベッドに上がつてゐた。短いスカートが|捲《めく》れてゐる。 「きて」 「でも……」 「いいから」  私に、これ「已上」ができるといふのだらうか? 彼女は毒を含んだ炭酸みたいだつた。まるで……  私はベッドに上がつた。私も脫いだ方がいいだらうか、迷ふが、そんな餘裕は無い。  彼女のさらさらした髮に觸れると、とても甘い香りがした。眠くなる……。  私はいきなり、核心に到つた。他に、良い場所を知らない。私には、彼女の素晴しい|體軀《たいく》に突附けられるものは無い。瞬きしてその部分を見るけれども、それが「おいしさう」に見えるのは、男の視點から、今まさに「自分が」されようとしてゐるのを、豫感してゐる時だけ。  深入りする程に、彼女と私との差が開いていく。なぜ彼女はこれ程“愉快”なんだらう? 私との行爲のどこに、そんな“源泉”があつたんだらう? ……同時に、今自分のしてゐる事が信じられない、俯瞰した人格がどこかにあつた。なぜ私は、かうも平氣にこんな事ができるのだらう?  女はそのままばたんと仰向けに倒れ、私を誘つた。“女”そのものが、私の眼の前にあつた。“女”としか|言樣《いひやう》が無いもの——普段私が男に曝け出してゐるもの—— 「……やつぱり私には無理よ」  私は言つた。 「ぢや、わたしがやる」  女が起上つた。體にきんきらの寶石がちりばめられてゐたら、まるで異國の女王か何かに見えたかもしれない。 「どうしたのよ。脫ぎなさいよ」  きつめに|咎《とが》められ、私は震へた。私は元より同性に對する耐性が無い上、年下は苦手だつた。別に|虐《いぢ》めに遭つてゐるわけではないが、場合によつてはそんな狀況になつてもをかしくはなかつた。彼女が醉つ拂ひである事を思ひ出し、私はおづおづと彼女の言ふ通りにした。 「……、」  たつたそれといふだけなのに、これ程緊張するか分らない。今更氣弱になつてどうする?  彼女の眼は|据《す》わつてゐた。微笑むでもなく、しかめ面といふわけでもない、でも機嫌を損ねるのがこはくて、私は伏目がちに彼女の前に坐つた。私だつて、大してさう違はない、生氣の無い顏附きをしてゐるかもしれない、もう、性慾が|殺《そ》がれるくらゐ、げつそりと。 「觸るわよ」  彼女は遠慮が無かつた——あつさり成遂げた。それ程の衝擊も無く、また衝擊を受ける餘裕すら與へられなかつた。確かに、私は、女に觸れ、女に——でもそれが、こんなものであつていいのか? 「あたし……、だめみたい」 「女では、つてこと?」  私はぎゆつと眼を瞑つて、頷いた。彼女にまさぐられるのは、好きではなかつた。それどころか、不快だつた。たぶん、自分でする時と同じやうにしてゐるのだらう、でも——男と同じやうには感じない——本當に異形が自分の中で蠢いてゐるやうで、こはかつた。いくらか“氣持良い事だ”と念じようとした。でも駄目だつた。 「だめ、やめて」 「氣持よくないの?」 「こはいの。氣持惡いの」 「でも——」 「お願ひ」  女は引いてくれた。 「あなたが氣持惡いつてことぢやなくて……、あたし女ぢや感じないみたい……、」  居心地の惡さが自分の中に擴がり、私は自然と膝を抱へ、肉體を隱し、自分を女から守つてゐた。 「なめさせてもくれないの?」 「無理……、できない」 「なめてさへもゐないのに?」 「……、」 「はあーあ。期待外れだわ」 “期待外れだわ”。途端に嫌惡、怒り、失望、墮落、後悔、羞恥、さういつたものが込上げてきた。私、なんでこんな女と來てしまつたのだらう!  そもそもが間違ひだつた……、自責と|怨恨《ゑんこん》の念とが交錯し、溶け合ひ、私に|滲《にじ》んでいく。  私が動くより先に、彼女は浴室に入つていつてしまつた……、くそ。私はぼろぼろ、泣いた。こんなみじめな氣持になつたの、初めて。  いや、初めてぢやない、これまでだつて幾人か、みじめにさせられてきた事はあつた、でもそれが、今日は女で……、考へたくもない。早く部屋から出て行きたい。  私は急いで衣服を身に附けると、鞄を持ち、扉が開くかどうか確認した。……大丈夫だつた。テーブルのメニューにさつと眼を通し、料金とシステムを確認する。先に部屋を出る事、金は置いておく事、チェックアウト時間をメモ帖にしたため、財布から千圓札の束を出して、灰皿を重りにした。  フロントの時計は、零時半を指してゐた。居酒屋を出た時間も、ここに辿り著いた時間も、覺えてやしない。でも、そんなに長くはなかつた氣がした。たつた數時間の初體驗。  シャワーから出たら相手がゐなくなつてゐました、とは|氣障《きざ》な退散かもしれないが、ほんつとうに、私は關はり合ひになりたくなかつたのだ。自分にレズの素質があるかもなんて、考へた私が馬鹿だつた。やつぱり私には、男しかゐない。  家に歸ると、パソコンを點け、幸せなレズ小說を讀んで、寢た。 「はあ……、」 「どうしたん?」 「いや……、やつぱり、いいや」 「なんや氣になる」 「サイテーな誰かにあたつただけよ」  もしあの體驗がハッピーなものであつたなら、「つひに女とやつちやつたあー」なんて背伸びしながら言ふのだが、實際には痛手を負つただけだ。 「しよーもない奴はどこにでもをるからな」 「あなたとか」 「どして?」 「返事してくれないから」 「そらしよーもないやろ。こつちだつてずつと暇と違ふんやから」 「やつぱりしよーもないんぢやん」  そんなしよーもない會話も、やつぱり男相手でなければ|成立《なりた》たないのだ。機嫌を損ねてもどきどきしてしまふこの情緖、かじりついてでもいかうとするこのテンション、女が相手では、かうはいかない。  そしてこの痛手を|開《ひら》いてこそ、男は釣れるのだ。 「實はこの間さあ……」  ずつと|見《まみ》える日を待つてゐる、愛ほしい|男《さが》と。 〈了〉