どこまで自肅するか、なぜ自肅するか

要注意コンテンツ自肅改變案より續き、性表現ガイドラインに續く

どこまで自肅するか

いづれも書き手視點で:

  1. 性行爲の詳細な描寫
    1. 性行爲でなくとも、生々しいと感じる描寫については、これに含む
  2. 登場人物の著しく偏つた思想、及び鵜呑みにして欲しくない內容
    1. 特にこれは年齡では片附けられない事柄だと思つてゐる。
      1. 私自身、20歲を過ぎても小說の文言を實在の人物に當て嵌めてゐたため。今でもその傾向がある。
    2. 結局のところ、讀者の反應はコントロールできないのであるが。
    3. しかし、幼年の眼に掛る可能性を考へれば、これはきつちり伏せておく(管理しておく)べき事項である。

なぜ自肅するか

皆やつてゐる、實際幼年の目に掛る可能性なんて、どれくらゐあるだらう――これはセックスの問題にも似てゐる。しかしこれは、可能性を許す事ができるかといふ問題なのだ。私がどうしたいかといふ問題なのだ、世界にどうあつて欲しいかといふ問題なのだ! ――であるならば、取るべき行動は限られてゐる。私の心は決つてゐる。


さういつた意味で、私の小說は至極どうでもいいコンテンツ、それどころか害惡にしかならないコンテンツである――曝す必然性は無い、全く。

であるからして、閲覽は消極的行動であつた方が良い。請求受附なんて、浮れてゐても仕方の無い事[年齡制限を設ける――仕方 - 要注意コンテンツ自肅改變案]。


我々一人一人が集まつて、巨大なメディアを構築してゐるのだから、無關係なわけが無い。

文責あるものとして、公開して良いか確信の無いものを垂れ流すつて、本來であれば有り得ない事だからな。出版社は糾彈されて個人は見逃されても良いなんて、そんな道理は無い――それは個人の言論を輕視するといふ事、個人の言論は無責任で無力で何の思慮も無い、といふ事を認める事に他ならない。(發信者の勢力に拘らず)言論を發信する事の重要さは等しいし、(個人を尊重するならば)等しくあるべきである。


だから(コンテンツの)選別をしても良いといふか、寧ろ選別しない事は狂氣の沙汰であり、自分の言論を輕んじてゐる