要注意コンテンツ自肅改變案より續くき、性表現ガイドラインに續く
いづれも書き手視點で:
皆やつてゐる、實際幼年の目に掛る可能性なんて、どれくらゐあるだらう——これはセックスの問題にも似てゐる。しかしこれは、可能性を許す事ができるかといふ問題なのだ。私がどうしたいかといふ問題なのだ、世界にどうあつて欲しいかといふ問題なのだ! ——であるならば、取るべき行動は限られてゐる。私の心は決つてゐる。
さういつた意味で、私の小說は至極どうでもいいコンテンツ、それどころか害惡にしかならないコンテンツである——曝す必然性は無い、全く。
であるからして、閲覽は消極的行動であつた方が良い。請求受附なんて、浮れてゐても仕方の無い事[年齡制限を設ける——仕方 - 要注意コンテンツ自肅改變案]。
我々一人一人が集まつて、巨大なメディアを構築してゐるのだから、無關係なわけが無い。
文責あるものとして、公開して良いか確信の無いものを垂れ流すつて、本來であれば有り得ない事だからな。出版社は糾彈されて個人は見逃されても良いなんて、そんな道理は無い——それは個人の言論を輕視するといふ事、個人の言論は無責任で無力で何の思慮も無い、といふ事を認める事に他ならない。(發信者の勢力に拘らず)言論を發信する事の重要さは等しいし、(個人を尊重するならば)等しくあるべきである。
だから(コンテンツの)選別をしても良いといふか、寧ろ選別しない事は狂氣の沙汰であり、自分の言論を輕んじてゐる。