人殺しの電話後書
- 習作らしい習作。滿足感のある推敲だつた。
- 夢シリーズ。せつかくの好きな人の夢なのに、こんなんばつかり。でも創作の足しにできるなら全くの苦痛といふわけでもない。夢(幻)だしね。それが一番の救ひかもしれない。
- 最後の
彼からもらつた電話臺のシール、まだ剝がしてゐない。
は謎。自分でもこれを書足したのは覺えてゐなかつた。でも何となく良い味を出してゐる氣がして、殘してゐる。
- 久々の滿足いく出來だつたので、短編にでも投稿しようかと。ちやうど1000字未滿だしね。有り難や。コンテストに出す掌篇といふと、どうにも凝つたもの——從來のショートショートのイメージ——で書いてしまふから、私はかういふのの方が良い。といふか、オチだけでいつぱいになるやうな、一發屋氣質の作品は大嫌ひなんだよ私は。自分で書いてゐてさう思ふ。全然面白くないなつて。それまでの過程が、オチまでの踏臺なんだもの。そんなの糞食らへ。每日書きたいし、とりあへず完成させる事が大事だと言つても、やはり意味が——何らかのしこりが無ければ、それは駄文だ(人に見せるものでもなければ、殘す價値も無い)。書き手の中だけだとしても腑に落ちる餘韻は殘さなきやいけない。——簡潔に言ふと、オチだけの小說はつまらないといふ事。だからショートショートつて難しい。物語全體が語つてゐても、やはりテンプレ的、ただ單に悲しいとか嬉しいとか書かれたものは、平凡でつまらないと思ふ。書き手のエッセンスが無いと思ふ。やはり書けば良いといふものでもない。他人《の作品から學ぶ事は多い。そして書く事によつても。自分の好き嫌ひがはつきり見えてくる。求める方向。指針。
- 同時公開した2作(肌を合はせると、ぼんぼり)はぎりぎりの部類。殆ど意味が無いから。手は盡したつもりであるが。推敲の練習をしたかつた、公開作品を增やしたかつた、といふ動機もある。
- 第16回 坊っちゃん文学賞もやつてゐるので、こつちにも何か出したい。しかし公募のために書き始めると、今度は公募のためだけにしか書かなくなるのでは、といふ恐怖が湧き上つてくる。——ま、落選すれば公開するんだけれど(權利の讓渡が入賞作のみ、といふのは有難い。しかし氣槪で言ふならば、賞や委員會に捧げるつもりで書いた方が良いんだらうけれど。でも明かす事は至極重要な事だと思ふね。誰でも參照できるといふのは)。
人殺しの電話補足・改訂履歷
- :公開
- :人殺しの電話 - 短編 第202期 #3公開(一部改訂)