どの年も違ふで賞

私はたつかんを剝いてゐた。

……

彼は默つてゐる。

……

彼は默つてゐる。

……

トイレ。彼はわざわざ口にして、立上がつた。ドア閉めて。廊下と居間の間の戶が少し開いてゐる事をとがめ、彼はばたんとそれを閉めた。

……

私は炬燵で蜜柑を剝いてゐた。

ぴよぴよぴよ……。

今日は寒い。


おやすみ

蒲團の中は、いつも同じ匂ひがする。彼のコロンの匂ひだ。大して若くも、お洒落でもないくせに、彼はさういふところに氣を遣つてゐる。私はこれを吸來むと、いつも眠くなつてしまふ。

グー

鼻に掛つたいびきは、厭にうるさかつた。私自身は、今の今まで、彼が熟睡したところをちらとでも見た事が無かつた。……これが熟睡してゐるなら、だが。ツンと、指先で腰のあたりを突いてみたが、何の反應も無かつた。私も背を向けて寢る。蒲團は廣く、厚く、奪ひ合ひにはなりさうもなかつた。


……

翌朝、味噌汁を搔き込み、背後で洗ひ物をしてゐる彼を餘所よそ目に、私はさつさと支度を濟ませた。後三十分で電車が出る。玄關でブーツに足を踏入れた時、私のどこかに、陰が差した。そのままでいいのか。いつものナレーションが、私を叩き出してゐた。――いいの、だつて、又逢へるし。

今日は特別なんかぢやなかつた

私は言つた。

雀はちゆんちゆん鳴いてるし、飛行機は今日も飛んでゐて、コンビニは變らずいらつしやいませつて言つてる。ご飯が無料になる事は無いし、どこかで飢餓は起きてゐて、野生動物は狩りを休んだりしないの

……動物は、今頃冬眠してるよ彼が、手を拭きながら玄關までやつて來た。手は眞つ赤だつた。

冬の動物だつてゐるでしよ

……ゐないよ彼は考へる素振りをして、言つた。

ねえ知つてる。蒲公英たんぽぽは冬でも生えてるの。寒い時は――夜は莖をかう、地面に這はせてね。まるで本當に寢るやうにしてるのよ。それで晝間になると、起き出すの。知つてる

知らない

今の仕事始めるやうになつてから知つたの。あなたは步いて出勤するなんて馬鹿々々しい、つて言つたけど、ほら、色んな發見があるのよ

下らない。寒いだろ

寒いけど、面白いな、變だなつて思ふの

ふうん。それで

自然界には、休日も、特別な一日も無いつて事。氣附いたの

それで

つまり、今日は何でも無い一日。皆は家族か戀人揃つて初詣で。あるいはゲームでもしてごろごろ。お正月氣分。ブラックフライデー。あなたはお年玉もらつた?

まだだよ。つーか、正月出勤も無いし、何ももらへないよ

さう

早く行けよ。遲刻するぞ

さうね。
――今日は何でも無い一日

まだ氣にしてるのかよ

だつて

逢ふなんて、いつでもできるぢやないか。こんな糞寒い中。しかも早朝。馬鹿だ

でも二千十九年の、お正月は、一度しかないのよ

どの年も同じさ! ――きみも、さうなのか? 平成最後のうんたらかんたら。下らない!

でも

いいから、歸れよ。ほんとに、間に合はなくなるぞ

私、セックスはしてくれると思つたのに

……

これには彼も答へなかつた。

今ここで絡み附く事もできた。けれど、彼は許さないだらう。腦は吿げてゐる。彼から求めて來た事は無い。悔しかつた。憎らしかつた。……したいよ間に合はない

さうだね! 間に合はないね!

終ひには泣いてゐた。彼は見守つてゐた。

次、いつ逢へるの?

知らないよ

――ズキュンとそれが胸に突刺さり、吐きさうにもなつた。さう、さうだ――前の彼氏どもがさうだつた、いつ逢へるのわからないつて――いつもそれが最後だつた。深く埋込まれてゐる。だからもう戀なんてしない、こんな切ない關係になんかなつたりしない、さう思つたりしてゐた。だのに。

性慾が無いの?

馬鹿にしてるのか

してないよ

とにかく、歸れよ

そんなに……

そんなに私を歸したいの、ぢやあ何で呼んだの、わけが解らなかつた。私たちがやつた事。ただ炬燵で飯を食つて、一緖に寢て、それだけぢやない。何も特別な事なんて無かつた。何一つでさへ!

きみは世間の事なんて氣にしないと思つてた

――だから、クリスマスもお正月も無視するつて? 無理だよ……私

ぢやあ

お終ひだな。考へがハモり、落ちた。もう間に合はないよ發車時刻十分前だつた。

何がしたいんだ?

セックス

……

別にクリスマスでもお正月でも何でもいいの、きみと逢つてゐる時がクリスマスでお正月で、誕生日なんだから

きみは烈し過ぎる

きみは消極的過ぎるよ

……間違つてる彼は言つた。それを望むなら、相手を間違つてる

でも、だつて、今好きなのは、きみしかゐないんだもん

それを言ふなら……

彼は頭の後ろに手をやつた。

私たちは居間に戾り、彼が淹れてくれたココアを飮んだ。炬燵の中で脚をつつき合ひながら、次の發車時刻まで時間を潰し、私は、歸つた。


そして四月に到る。私たちの姬始めしやうぐわつは、いつも遲い。

私は手帖のHの文字を塗潰し、新たなアルファベットと共に、きみの名前を書入れた。――今年は、受賞できるといいね。