私は炬
……
彼は默つてゐる。
……
彼は默つてゐる。
……
トイレ。彼はわざわざ口にして、立上がつた。ドア閉めて。廊下と居間の間の戶が少し開いてゐる事を咎
……
私は炬燵で蜜柑を剝いてゐた。
ぴよぴよぴよ……。
今日は寒い。
おやすみ
蒲團の中は、いつも同じ匂ひがする。彼のコロンの匂ひだ。大して若くも、お洒落でもないくせに、彼はさういふところに氣を遣つてゐる。私はこれを吸來むと、いつも眠くなつてしまふ。
グー
鼻に掛つた鼾
……
翌朝、味噌汁を搔き込み、背後で洗ひ物をしてゐる彼を餘所
今日は特別なんかぢやなかつた
私は言つた。
雀はちゆんちゆん鳴いてるし、飛行機は今日も飛んでゐて、コンビニは變らずいらつしやいませつて言つてる。ご飯が無料になる事は無いし、どこかで飢餓は起きてゐて、野生動物は狩りを休んだりしないの
……動物は、今頃冬眠してるよ彼が、手を拭きながら玄關までやつて來た。手は眞つ赤だつた。
冬の動物だつてゐるでしよ
……ゐないよ彼は考へる素振りをして、言つた。
ねえ知つてる。蒲公英
知らない
今の仕事始めるやうになつてから知つたの。あなたは步いて出勤するなんて馬鹿々々しい、つて言つたけど、ほら、色んな發見があるのよ
下らない。寒いだろ
寒いけど、面白いな、變だなつて思ふの
ふうん。それで
自然界には、休日も、特別な一日も無いつて事。氣附いたの
それで
つまり、今日は何でも無い一日。皆は家族か戀人揃つて初詣で。あるいはゲームでもしてごろごろ。お正月氣分。ブラックフライデー。あなたはお年玉もらつた?
まだだよ。つーか、正月出勤も無いし、何ももらへないよ
さう
早く行けよ。遲刻するぞ
さうね。
——今日は何でも無い一日
まだ氣にしてるのかよ
だつて
逢ふなんて、いつでもできるぢやないか。こんな糞寒い中。しかも早朝。馬鹿だ
でも二千十九年の、お正月は、一度しかないのよ
どの年も同じさ! ——きみも、さうなのか? 平成最後のうんたらかんたら。下らない!
でも
いいから、歸れよ。ほんとに、間に合はなくなるぞ
私、セックスはしてくれると思つたのに
……
これには彼も答へなかつた。
今ここで絡み附く事もできた。けれど、彼は許さないだらう。腦は吿げてゐる。彼から求めて來た事は無い。悔しかつた。憎らしかつた。……したいよ間に合はない
さうだね! 間に合はないね!
終ひには泣いてゐた。彼は見守つてゐた。
次、いつ逢へるの?
知らないよ
——ズキュンとそれが胸に突刺さり、吐きさうにもなつた。さう、さうだ——前の彼氏どもがさうだつた、いつ逢へるのわからないつて——いつもそれが最後だつた。深く埋込まれてゐる。だからもう戀なんてしない、こんな切ない關係になんかなつたりしない、さう思つたりしてゐた。だのに。
性慾が無いの?
馬鹿にしてるのか
してないよ
とにかく、歸れよ
そんなに……
そんなに私を歸したいの、ぢやあ何で呼んだの、わけが解らなかつた。私たちがやつた事。ただ炬燵で飯を食つて、一緖に寢て、それだけぢやない。何も特別な事なんて無かつた。何一つでさへ!
きみは世間の事なんて氣にしないと思つてた
——だから、クリスマスもお正月も無視するつて? 無理だよ……私
ぢやあ
お終ひだな。考へがハモり、落ちた。もう間に合はないよ發車時刻十分前だつた。
何がしたいんだ?
セックス
……
別にクリスマスでもお正月でも何でもいいの、きみと逢つてゐる時がクリスマスでお正月で、誕生日なんだから
きみは烈し過ぎる
きみは消極的過ぎるよ
……間違つてる彼は言つた。それを望むなら、相手を間違つてる
でも、だつて、今好きなのは、きみしかゐないんだもん
それを言ふなら……
彼は頭の後ろに手をやつた。
私たちは居間に戾り、彼が淹れてくれたココアを飮んだ。炬燵の中で脚を突
そして四月に到る。私たちの姬始め
私は手帖のHの文字を塗潰し、新たなアルファベットと共に、きみの名前を書入れた。——今年は、受賞できるといいね。