書續ける事について

所感(2018年9月29日~2019年)作者と読者:2019年1月9日:より

好きだから書くといふよりも、言はざるを得ないから書くんだよ。拾はれないかもしれないといふのは、又別の次元の問題。外部刺戟が無い程度で筆が折れるなら、書く事そのものが無かつたんだろ。さういふ事。

外部刺戟から內面的動機附けが始まるんだが、その內部反應が起らなければ思案は起らない、といふ。無理に書く必要は無いし、關心は變つていく事の方が自然。

書續けてゐる連中はさうせざるを得なくて、結果として續いてゐる、といふ事でしかない。だから譽めるも糞も無いんだよ。

書續けてゐる事を譽めちぎるのは嘲弄なんだよ。裏を返せば實りの無い事をよくもここまで續けてるもんだつて言つてるのと同じぢやないか。譽める、つてのは何らかの苦勞の評價を示唆してゐる。あんたらにとつては苦行かもしれないが、私にとつてはどうといふ事も無い――性癖。病みたいなもんでこの衝動に抗へないといふ意味では、憐れみはあるのかもしれんが。實際のところ、他人にとつての價値などどうでも良い。確信すらも無いから書けてゐると言つたら、あんたらは笑ふだらうか?