Kindle出版を終へて

公開する意圖

嬉しかつたのは出版の直前までだ。出版してからは、不安と嫉妬に苛まれた。次に、後悔した。

値段を附けて商業作家に成果てた悅びよりも、原稿を隔離してしまつた後悔の方が强かつた。私にとつて小說で金を稼ぐといふのは何でも無かつた。私は金を稼ぎたいのではなかつた――樣々に思案し、不安に怯え――しかしそれは、樂をして生きたいといふ、怠惰な、現實世界を顧みない淀んだ心からだつた。私は金を欲してゐるのではなかつた。さう上手くもいかないと知つてゐるし、小說だけで生活する――小說といふ生き甲斐に人生を背負はせるのは、あまりに重かつた。戀人關係と同じだ。宣言してしまふと、私は距離を置いてしまふ。愛し方といふものを、あれこれ劃策してしまふ。

私は記錄をしておきたかつた。この藝といふものを極め、樂しみたかつた。質を高めたいのは、單純に自分が滿足したいからだ。私の望みは、このサイト――ドメインとサーバー――だけで完結してゐた。Wayback Machineが死後の夢を見せてくれた。讀まれれば嬉しいが、それは副產物であつて、當の目的ではない――私は讀者がゐなくても、全く構はないのだつた。


Kindleの原稿は、そのままとしておく。無料で公開してはいけないといふ事も無いが、すると値段を附けてゐる意味も無いので自肅する。


私は記錄がしたく、原稿を隔離するのは、これに反する行爲だつた。

やつてみて氣附いた。


いかに讀ませるか、買はせるか、といふ沼に浸つて、私はもがいてゐた。

弘報も販賣も、私の意圖には不要だつた。


何だか私のやりたい事とは違ふといつた感覺は、どのコミュニティを見てゐても感じた事だつた。だから癪に障り、妬みがちで、批判的だつた。作品の創り方も公開の仕方も、更に增えていくだらうが、自分の納得出來る事が大事だと、今囘の件で學んだ。


無料で公開し續ける人の氣持が分つた氣がした。


引續き樂しい事の中には飛込んでいくつもりだし、それが創作の促進に繫がるなら、關はつても良いと思つてゐる。樂しい事が一番、と。

賣るとは何か

同時に賣るとは何だらう、と考へもする。文学フリマでは、賣るとは人のために書下ろす事で、人に向けてのコミュニケーションなのだ、といふ事を學んだ(第二十七回文学フリマ東京イベントレポート)。相互の交流――だから相手の反應を引出す事が念頭にある――期待し乞ふのだ。同人といふ場、自らの手で著作を賣るのが好き、といふ人の氣持も、書かせてもらつた時の自分の氣持を顧みれば、よく解る事だつた。自分の中のやさしい氣持と、相手が見せてくれる反應――相手の氣持に觸れる――とで、初めて創作――賣買はしわたし――は一體になる。

詩を書くとやさしい氣持になれる。人の氣持に觸れようとするから。

私が言葉で出來る贈り物つて何だらう、つて考へる。言葉の小包。


卽興詩と言つてもでたらめなものでいい、つてわけぢやなかつた。精神的にも內容的にもやさしいもの、人に傳はるものでなければならなかつた。現代詩に見られるやうな奇拔な言葉遣ひでも、あるいは喜んでもらへるだらうが、私が誰かから言葉を掛けてもらへたのは、やつぱり傳はつたから、彼らの中に何かが傳つたから、だと信じてゐる。


人とのやり取りが面白いから賣買をしてゐる、そんな風で良いかも知れない。結局この世界が在るために氣持が起つて、我々は見聞きしたものを書いて、だから孤獨でゐる事なんて出來やしない。無視して書く事なんて、出來やしない。

2019年9月1日:後書

一圓も稼がずに早計か。

心に深く探りを入れれば――最初にやつてみたかつた動機は、生計を立ててみたかつた、といふものだつた。つまりは自活したかつたのだ、私は。

間違へて恰好の惡さを曝すのがこはかつた、傷附かずに生きていきたかつた、そんな弱さがここにある。私は諦める理由を探してゐた、自分を僞る證明を探してゐた。心の底の願ひを認めなかつた。


原稿を隔離するのは惜しいけれど、生計を立てるのもやつてはみたい事。

無料で公開しながら金を取る、つていふと、弘吿を載せるか、寄附を募るか。あるいは閲覽數が稼ぎに直結する仕組。いづれも難しく馴染みが無い――弘吿は絶對に載せたくない――ので、私は簡潔に販賣するのだ。

自分の出來る事を。


賣れない小說に意味はあるのか。無いと思ふけれど、一册書上げた經驗と悅び、私的に讀んでもらひ、作品のリストにちよこんと載つてゐれば、私には意味のある事だ――意味のある事にしていく。


隱すのが惜しいつていふなら、二十年後に解放するとか。

一年に一册で二十册、自尊心も、充分に滿足するんでない?