マッハ新書なるもの

マッハ新書の工程に沿つて書かれたものは讀んだ事はない。マッハ新書についての感想のみ。

マッハ新書とは

感じずにはゐられないやつつけ

最近マッハ新書といふものを知つた。檢索してみると(マッハ新書に関する人気の同人グッズ585点を通販できる! - BOOTH)、妙に質の低い……アフィリエイトの商材みたいな胡散臭い表紙が竝ぶと思つたら、なるほど、短時間で出版する方法の事を言ふらしい。

表紙は白地に文字、といつたものが多い――これなら畫像ではなく、題名のリストにしたらどうだらう?(商品の陳列はBOOTHに依存する話だが――ユーザースタイルシートでも作るか) 商品說明も割かし雜で、~について思つた事を書きましたの一言だつたりすると、とても買ふやうな氣にはならない。勢ひで書いたので誤字脫字はご諒承下さい、中には執筆途中です。書足したら値上げをしますといふものもあつた。從來だつたらとんでもない事だけれども、これもご時世ゆゑの方法なのか……と(しかしながら――書き途中だとしても――讀み終へた物をもう一度讀まうなどと思ふだらうか? 連載とどう違ふのか? 後々に欲しくないものに變貌してしまふ可能性を祕めるもの、最終的な價値の判らないものを買はうと思ふのか。一々ダウンロードせねばならないといふ點も面倒だ――これはBOOTHの仕樣ではあるが)。

讀者からのフィードバック(誤字脫字の指摘、意見感想など)を受けながら、作品を豐かにしていく~といふのが(マッハ新書に限らず)ウェブ作品の恩惠に數へられるらしいが、一體どの程度の人間がその恩惠に與れるといふのか――大抵の人間が書きつぱなし・讀みつぱなしだといふのに! 眼に入つた文章に片つ端から感想を送る事は無理だし、意見がある每に書籍をアップデートするのもきりが無いだらう。多樣性があつて有意義なフィードバックを得るのは、元から知名度があるとか、積極的な協力者が見込めるとかいふ人だけでないのか(實際無名の人間でも恩惠を得る事はあるし、恩惠を期待する事自體は惡い事ではない。問題はどうやつて讀者にフィードバックを起させるか、書き手にアップデートさせるか、といふ事である。讀者にも、又書き手自身にも要點を見拔く眼が無ければ質の高いコンテンツにはならないだらう――見境無く取入れるのはただのごつた煮である――何が適當かは分りません、讀者が判斷して下さい――では揭示板と同じではないか)。

他人にけつを拭かせる事まで前提にするのはいかがなものか(せめて誤字脫字の確認はしてもらひたい――檢索結果を見て廻つてゐると、投出してゐると感じる著者もわづかながらゐた。としては良い印象を受けない――さう、ライブ型コンテンツの特徵として、讀者の反應を前提にしてゐるところがあつて、從來の書籍の感覺でマッハ新書を見ると、に仕事をさせようとしてゐるかのやうに感じる)。他のライブ型コンテンツと同じで、讀者に本(企劃)作りに參加したいといふ意慾が無ければ、マッハ新書が見据ゑる眞の――つまりフィードバックを與へる――讀者は現れないだらう。從來通り、讀んで終るだけ。例へば動畫のライブなんかだと、視聽者がコメントを送る→出演者がそれに反應する、もしくは企劃の進行に變更が加はる→視聽者が樂しくなる、といふ期待(視聽者が展開を創れる)が見込めるが、これを書籍で置換へるとしたらどうなるか――さう、あくまで讀者は讀者が樂しくなれるから參加してゐるに過ぎない。私の書籍を良くして下さいといふ精神ではフィードバックは見込めない。あなたを應援したいといふ人々もゐるが、それは私を樂しくさせてくれるからだ。

賣りたいけれど、賣る氣は無い、といふ商品も多く見られる。情報が少な過ぎるのだ。買ふ側に廻つたとして、何が知りたいか――と(著者が何者か分らないし、立讀みも出來なければレビューも無い、購入に至る判斷材料が無い)。


簡單に書けるからこそ、企劃自體を樂しく見せる――參加する意義のあるものにしなければならない。でなければ多くの人間にとつて、マッハ新書手拔き新書である。


餘談だが、ライブなら些細なコメントからでも話を擴げられるやうな意識が必要だよなー、と思つた。過疎つてゐる動畫配信などを觀てゐると。さうでなくとも、情熱を捧げてゐる議題で作品作りをしてゐる人は、些細な指摘ヒントからでも想像が爆發するやうで、あつといふ間に世界を擴大してしまふ。


他人の書籍を良くするより、その書籍で得た感想その他考察を自分の書籍で發表しよう、といふ人の方が多さう。金になるしな!笑 書籍に對して書籍で應へる、といふ形は決して惡くない。書き手に意見するとしたら、その書き手に書いて欲しいからなんだらうな、きつと。


フィードバックは書き手に直接屆くのではなく、世界のどこかで、別の誰かが與へるものになる。BOOTHはコミュニティの力によってと表現してゐるが、現狀、そのコミュニティとは、著者一人一人を取卷く環境を指してゐて、規模はあまりにも小さく、生きづらい。その中に閉込めておくのが惜しくて、結局一人一人が又別のコミュニティを立上げる。そんな循環に入つてゐる。


敢へて言つておくと、寄附やプロジェクトの支援、書籍のテーマに關聯するものでない限り、儲けの用途は書かない方が無難。は? ○○なんて下らねーもんに金落すくらゐなら、買はねーわとなるから。

もつと言つておくと、金自體臭はせてはならない。テクニックとしてさう言はれたら腹が立つんだが、實際のところ、讀者としてに言及されるのは、非常に不愉快だつた。生理的に受附けないのだ。

靑い果實は貴重

いいよ、高速に物を書くのはね。檢閲を排除出來るから。私は寧ろ書いた事がないといふ人たちが勢ひだけで短篇程度の長さを書けてゐるのがすごいと思ふ。しかも、章立てをして!

もつと良い事には、現役の中學生・高校生までもが出版してゐるといふ事實だ。學校や敎育機關へ向けて書くやうな品行方正な文章ではなく、正直な文章で。いや――今までも澤山あつたけれど――ブログなど――でも値段を附けて、必死に意圖を傳へようとする情熱は、目を見張るものがあるし、人生にたつた一度しかない靑い時期は貴重である。書くといふ事が、公開する事が、値段を附けて賣るといふ事が簡單になつていく程に、緊張感は失はれていくのだらうけれど。賴むから君たち、消さないでくれよな。黑歷史といふ自己都合で削除するのは、讀者を缺いた決斷だし、それこそ多樣性を否定してゐるよ。

ディストピア的想像

誤字脫字の指摘といつた事務的な作業は、いづれAIが實行するのだらう(既にテキストエディタや文字入力ツールが機能を持つてゐる)。そこまで考へると、編輯や執筆の意見までAIが兼ねるのではないかと思ふ――人間の代りに。といふのも、あまりにも人間が感想を書かないから――間に合はないから――。しかも統計まで取れる――受ける賣れる內容を豫測する事が出來る――ので、そのうち人間よりも、AIのいふ事を優先するかも知れない。いかにAIから合格點をもらへるかといつた事が、出來評價の指標になつていく。人間に向けて書いてゐるはずなのに、當の人間に附合つていくのが馬鹿々々しくなつていく、そんな事が起り得るのでないか。

さういつたディストピアを想像するのは面白いし、なぜ書くか誰に向けて書くかといつたきつかけにもなるが、氣に入らなくもある。話題になつてゐるVR(假想現實)もさうだけれど、あまりにも現實からの離脫が進めば、自然や人間の複雜さに附合ふ事が非效率的不合理不自然と見なされてしまふ日が來るのでないかと思つて、こはい。


――さう、人は檢證しないので、代りにAIが檢證し始めるのだ。言葉の正確性、企劃の構成、話の整合性。AIがいくらかの選擇肢を出し、人間はその中から選擇するだけ。あるいは、編輯ボタンを押せば、自動的に書換へが行はれる、さういつたシステムになつてゐるかも知れない。


まだまだ(紙の本による)出版といふものに憧れと價値を持つてゐる人は澤山ゐて、かうしたスパンの早い出版といふのは輕薄に見られてゐるけれども――この數もいづれ逆轉してしまふのかと思ふと、哀しいところがある。思考を片つ端から書き始め、言葉の意味を檢證せず、限りなく口語に近いもの、曖昧で不備の多いもの、長く取つておくには適さない書物になる恐れ。言葉は傳はれば良いといふものになつて、それこそ辭書が日々アップデートされるやうになつたら? 人がどういふ意味で言つてゐるのか判らなくなつたら? 人も書籍も、何もとどまるところが無くなつたら? 聲のやうに消えていくものとなつてしまつたら、書く意味なんてあるんだらうか、私がここにゐる意味は、意思は、遺しておけないのだらうか。

ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さだつたか、ウェブといふ場で言葉が變化していく事の懸念が指摘されてゐて、私はずつと氣にしてゐる。

書く樂しみ

質においての――高速に書く事の效用は否定しない。だがすぐ出版する――敢へて編輯しない事の效用や狙ひが無ければ、卽興的藝(讀んだらすぐ霧散する)に過ぎないのではないか。最低限の體裁さへ丸投げしてしまつては、自分のためにすらならない。

捨ててしまつて良いもの、殘しておきたいもの、選別して初めて氣附きがある。何を書いた(書きたかつた)のか、書く中で氣附いた事は何だつたのか、それを見附け、述べる事こそ、書くといふ行爲の樂しみであり、效用だ。


私もマッハでないけれど數日で書いた。皆もうマッハで書いてゐるんぢやないか、何を今更生き生きしてゐるんだか。――でも書く人が增えるのは純粹に樂しいな。

纏め――マッハ新書は未完新書

常にアップデート(改訂)の可能性があるといふ事は、その價値(價格、內容)が變動的といふ事だ。

それは永遠に未完の書籍を提供するといふ事でもある。(無論、無限に改訂を加へられるといふ意味では紙の本にも、ウェブの原稿全般にも言へる事ではある)

マッハ新書を解說してゐる書籍もあるが、買ふ氣は無い――といふよりも、pixivに登錄する氣が無い。出版社には依存してゐないが、販賣サービスには依存してゐる(私がKindle書籍を出す時の懸念もそれだつた)。讀者層を絞りたいといふなら構はないが。どこのサービスにも賴らないとなると、出來るのは自家營業くらゐか。

皆こぞつてBOOTHに出品してゐるが、そこに望みの讀者はゐるだらうか。


いや、かうしてみると、自分でも讀み書きしてみたくなつた、マッハ新書といふものを。文学フリマもやつた後と前では、劇的な違ひ――してみなければ絶對に分らなかつた事――があつたから。さういつた意味で、以上の懸念は懸念止りだ。あくまで經驗する前の人間の恐れを述べてゐる。

しかし私の氣質としてすぐに――瞬間的に執筆して販売するといふのがどの程度の執筆時間か、どの程度確認編輯作業をするのか、分らないが――出すといふのは難しいだらう。いや、まさにこの附錄(コンテンツ)共々がマッハ新書と言つて過言ではない。販賣はしてゐないが。無料の新書と言つても良いだらう(出所のBOOTHでは0圓から設定可能)。電子書籍とはいふが、HTMLで作成し、個人のウェブサイトで公開する文書も充分電子書籍そして出版と言へるではないか。改めて持出す槪念だらうか?

2019年8月26日:缺片集め

よくよく見れば、マッハ新書の在り方はWWWで情報発信しようで書かれてゐる事そのままだな。完璧を目指さない。断片情報も十分価値がある。つまりウェブの在り方。

問題は、斷片を金を出すに價する企劃に出來るかどうか、墮落したビジネスにならないかといふ事(書きつぱなしで、主題をろくに探求しない著者も出て來るだらう)。