特定のブラウザユーザーからのアクセスを彈くといふ非道な差別行爲について

Viewable with Any Browser: Campaign

そもそも前提がをかしい。普通に書いてゐさへすれば、(普通に動作する)どんなブラウザだつて表示できる筈だ! 文章が主體のサイトで表示ができないとするならば、それは文書そのものに缺陷があるからだ——大抵、その原因はスタイルシート、スクリプトに行著く。

無論、上記は特殊なウェブ・デザインにしないようにする心掛けであつて、普通でない事をする上での心掛けだ。


しかし一部のサイト制作者は、その普通でない事を押通す爲に、さした理由も無く、ブラウザユーザーからのアクセス——情報の提供を拒絶する。


ブラウザに致命的缺陷があるならば、それはブラウザ制作者が喚起すべき事だし、それが爲されてゐないといふ理由でサイトの利用を拒絶するなら、サイト制作者がはつきりと理由をユーザーに示すべきだ。そして簡單に情報は奪はれるべきではない。


表示が崩れると主張する人らに言ひたいのは、制作者の思ひ通りに表示する事に、何か意味があるのか? といふ事だ。ブラウザのデフォルトスタイルシート——どころか、タグを交へたプレーンテキストでだつて情報は提供できるのに、なぜその總てを隱蔽するのか? 確かに(情報の分別を)理解し難いのは認めるが、それでも內容そのものを奪ひ去る理由にはならない。


何より、そのブラウザでしかアクセスする事ができない人々を無視してゐる。古いコンピュータしか使へない環境だとか、ブラウザに古いとかバグがあるとか知らないとか、私でさへこんな程度の理由しか考へ附かないが、選擇肢が無い人々は必ずゐる筈である。アクセスを彈くとは、人々を除外する事である。この廣大で自由なWebといふコミュニティにおいて、人々を排除する事である。


見た目は趣旨を補强はするが、人々の智見を犧牲にする程の價値は無い。


ブラウザの事を氣に掛けた時點で、我々はdirtyなのである。


Webの利點は、どんな環境でも閲覽できる事ではなかつたのか? なぜ我々はWebの前提や理念を殺めるのだ?

參考