ノベプラを捉へる

關聯:

  1. ビジネスと批評、SNS化する投稿サイトへの輕蔑
  2. 思想無きコミュニティに未來は無い

作家を應援する

ノベルアップ+を眞劍に捉へてみようではないか――?

眞劍に? システム、お金の流れ自體は素晴しい。しかし――しかし? 作家を應援するには? 個人規模は適切か? 集團規模であるなら? どうして稼ぐ必要があるのか。寄附とはどう違ふのか。

そもそも作家は作品によつて稼ぐ必要があるのか? それだけで生活が出來たならどのやうに生活を送るか?


私が考へるといつもそこに行當る。何故實績のある面白い(と見込める)小說よりも、素人の滅茶滅茶な小說を讃へる必要があるのか。稼げないプロも日の目を見るべきではないのか。

公平なやり方

例へば年金みたいに、皆でお金を出し合つて、作家に分配するとか――?(それだと寡作な人と多作な人で差がついてしまふから、活動履歷で金額に差をつけるとか――?) いづれにしろ、不公平感が生じるのは免れないだらうなあ。

作家一人一人が支援を得るつてどうしても限界があるし、不毛のやうな氣がするんだが。加へて、思想無きコミュニティに未來は無いでも述べたやうに、作品の質ではなく、作家の行動から(見返りを期待して)ポイントを與へる人がゐる以上、技倆が長けてゐるのに評價されないといふ事態が、どうしても出て來る。するともう、私にはパイの取合ひにしか見えないのだ。作家はいかにしてされるべきなのか――?(ああ、私が應援するといふ趣旨よりも、優秀な作品・著者をプッシュする事に固執してゐるのは自覺してゐるつもりだ。しかしながら、Webの現狀として、質の向上よりも點數の獲得が簡單に成し得てしまふ以上、私はかう願はざるを得ないのだ。そしてを見極めるには基準や規定が必要で、そこに異議が唱へられるのも、又必然である――それがコミュニティのとも言へるが)

結局のところ、聲のでかい作家しか支援を受けられない――當然の成行きのやうな氣もするし、しかし腑に落ちない箇所があるのも事實だ。これは本當に公平なやり方なのか? ――さう思つてしまふのだ。

何だらうなあ。このモヤモヤを晴らす妙案も、そのモヤモヤの正體もはつきりとしない。私は何に對して腑に落ちないのか――?

皆平等といふのが幻想であるとしても、質の高い作品がプッシュされない事に私は不滿を感じてゐる。

批評の立たぬ理由

それはユーザーの手によつて選出されるからだ。例へば公募に應募して、多樣な經驗を持つ作家なり編集者なりが審査するならば納得出來るが、ノベプラのポイント附與の場合、審査してゐるのは、素人の我々である(中にはプロもゐるか知れないが)。審査員でありながら審査を受ける側でもある我々は、感情と期待で物事を運びがちだ(つまりこの時點で、公平な評價は期待出來ないわけだ――もつと早く氣附くべきだつた。投稿サイトで批評が成立たない理由だ)。信條や基準を持合せてゐるわけでもない――要するに、私は私以外の審査員たちを信じてゐないのである。一所懸命に書いてゐる人たちが報われる爲には、點數を附ける我々が意識的に點を用ゐなければ、決して書き手の向上に繫がる事は無い。

――でも報われるつてのは非常に危險な考へ方で、理念としてはさうなるべきだけれど、心構へとしちや、そんなものは少しだつて期待しない方が、精神衞生的には健全だ。特に長く書續けるつもりなら。雜草のまま一生を終へるといふのは、知つておいた方が良いだらう。あくまで生活の中に樂しみを見出すのだ。自分の正直さの中に。

作家である必要は?

私に妙案は無い。作家を支援したいと思ふ一方で、そんな必要がどこにあるのかと常に自問してゐる。生活に困つてゐる人がどこにゐるといふのかと。食ひ物が無い? 紙とペンが買へない? パソコンを點けておける電氣代も――? 大抵の人はどうにかなつてゐるから、私は同情出來ないのである。――尤も、私には時間があるから、そのやうに感じるのかも知れない。日に一時間も書けなかつたら、私とて焦燥の波に飮まれ、今以上にをかしくなつてゐただらう(現代人の多くが自分を見失つてゐるのは、腹の底から書く事を失つてゐるからであると思ふ――出來れば手書を奬める)。


――金を稼ぐ必要はあるのか?

私はずつと問ひ續けてゐる。確かに私だつて强制勞働は免れたいし、實力で生拔けたらどんなに嬉しいだらうと思ふ――でもそれにはある種のみつともなさ、競爭、多種多樣な劣等感、醜さが附き纏ふのだ。私は耐へられるか知れない。


ある意味でそれは弱さ、自分が生きてゐるなかに誰かを蹴落してゐる、その無視や無知だ。

――でも皆が己に釘附けにしようと必死なのを見る時、私は醜さを感じる――この中に加擔したくないのだと。


さうなのだ、私は人がゐれば、溢れるのは當然でも、皆は無理と切捨ててゐる。けれども救濟案があると、皆に適用するには?などと考へてしまふのである。本當に詰めの甘い人間だ。

藝術で稼ぐ事への抵抗おそれ

他の職業なら簡單に商賣として割切れるのだが(商店、銀行員、法律家など)、殊作家に關しては、私はどうしても身構へ、自分でやつてみろといふ氣になつてしまふ。何故なのか。判らない。藝術を神聖視してゐるからか知れないし、自分が行動してゐない事の言譯にしたいのかも知れない。とかく、私は藝術で金を稼ぐ事に、懷疑的だ。そしてそれ故に、商賣に踏切る事が出來ない。


そも、何故書き物を賣つて生活するといふのが、これ程までに難しいのか? ――恐らく屬せる場所が無いからだらう。集團に所屬して書いて、給料が貰へるといふのは、新聞や雜誌、ジャーナリストといつた職種くらゐで、個人小說とかエッセイとかで收入を得るのは、非常に難しい。


例へば、小說家になるのに段階があつて、それを踏まへれば職にありつけるといふのなら、私だつてレールの上に載り、文壇かそこらの組織圖をあがめてゐたらうさ。けれどもこの道に道は無く、くさむらに入つてがさがさして手足が擦切れたり毛蟲がくつ附いたりしてゐるのを見てぎやーと言ひながらも前に進むしかないのさ。しかもその叢は、人工的に造つた、安全な圍ひの中にあるかも知れないつて言ふんだからね。笑つちやふだらう。


抵抗があるのは、批評を恐れてゐるか知れない。自信が無いのか。判らない。


ぢや何故かういつた稼げる仕組に興味があるかと言ふと、やはりぎたいからだ。ただ投稿するのが惜しいだけ。自分のドメインで稼げたら、私も堂々と、何らかのプログラムに參加したかも知れない――OFUSEは斷つたけど。

足りないのは流通の仕組かもね(それも又底が知れない、と書いてゐる)。

それから、稼ぐなら賣りに出す原稿は仕事と割切るべきだ、と思つた。公募の時にも感じた事だけれど。


さうだな、私はプロ、でなくとも、文章の編輯をなりはひにしてゐる人に評して欲しいのだ。だから公募に眼を附けた。投稿ではなく。業界人にもへつぽこはゐるものの、職業は一つの擔保だ。そして、少なくとも無名の新人でゐるうちは、かういつた人々は原稿のみで評してくれる。お返しは原稿そのものである。間違ひ無く。

有料ポイントが不要なら、きつぱり斷つべし

ここ最近で書いて來た意見みたいなものは、いつかノベプラに投稿するかも知れない。反應を見てみたいのだ――しかしながら、これも又何も期待しない方が良いだらう。何故なら皆、忙殺されてゐるから。こんな文に時間を取られるくらゐなら、默々と小說でも書いてゐた方がマシだらう。

心の底では、澤山のポイントを得てドヤつてみたい。しかしその澤山のポイントが、觸れた人間を決定的に變へた證、とは言へないのだ。それは一瞬の電氣信號。昂奮してゐるのは私だけかも知れない。自分で思ふ程劃期的な事は言つてゐないかも知れない――いや、それは良いのだ、私にとつては目覺ましい發見めざめであるからして。


ああ、ノベラポイントは辭退しよう。無くても良いけどつていふのは、要らないといふ事だ。

今のところ、私は生活に困つてゐない。確かに稼ぎ口を增やすのは資產運用的には望ましい事かも知れないが――例へば、私がポイントの附與(ノベルアップ+貢献ポイントプログラムの同意)を斷つてさへゐれば、そのポイントは他の必要とする人に廻せるのである。さういふ事だ。


ノベプラの長所を殺すやうな仕打ちだけれど、私には不要だつた。私はその直線的なシステムに惚れてゐるだけだ。

御前のその消極性が、作家自らの進出を妨げた――いつかさう、頭の中の死神に囁かれるか知れない。しかし私は、今、辭退したいのだ。自分の誠實さの爲に。


――その癖人を怨んだり嫉んだりするのだから遣り切れない。しかしそれも含めて、自分らしいと思ふ。怨むなら、嫉むなら、自分も同じ事をすれば良い。――でも、したくないのだ。恰好が附かないから。私は臆病だから。

と、恰好は附けたが:仕事としての原稿

あ、さうか、公募(=エブリスタ)に出した作品を、ノベプラにも投稿すれば良いのか。仕事と割切つた作品なので、これは投稿しても抵抗は無い(質はいつも通りだけど)。有難い事に、妄コンの規約では外部にも投稿出來るので(運營にも確認した)。

これでエブリスタでは運營(業界人)に、ノベプラではアマチュアに、讀んで貰へるわけか(さう、公募の良いところは、例へちらつとでも業界關係者に讀んで貰へるといふ事である。下讀みはゐるんだらうけれども)。


といふ事で、投稿もするし、ポイントも貰ふ。ほんと、掌くるくるですわなあ。

有料ポイントを受附ける以上は、投稿するのは仕事の原稿だけだな。他は好きにこのドメインで書いていく。販賣なんかするよりずつと良い――かうすれば良かつた、のか(それはこれから檢證していく事になる)。


動機附けとしては、

  1. 書き物で生計を立てるといふ根底があつて、
  2. ノベルアップ+のサービスがどんなものか
  3. 投稿專門でどの程度稼げるか
  4. そもそも原稿の需要(評價)があるか

1ポイントも入らない可能性、入つても換金可能ポイントに逹しない可能性。スタンプとかアバターとか要らないんすけど……。

まあ、やつてみんと判らんなあ。

このサービスを利用するつて事は、有料とは言へ、ぽちぽち(手輕な、輕薄反應)を肯定する事にならないか?


かういふ活動を始めると、こればつかりにならないか、と心配になる。私はあくまで、好きな事、書ける事を書く事に徹したいのだ。ああ。普段の書き物と上手く併走出來なければ、廢業するだらうな、笑。

何故他人のサイト

ここではつとするわけだ、普通に自分のドメインで日記やらうんちくやら、好きに書いてゐる人たちがゐる中で、何故私は他人のサイトで書かうとしてゐるのか、と。例へば公募なんかはそれが條件になつてゐるから仕方無いけれど、他は? つて。有料ポイント、つて言ふけど、結局それ、寄附が現金から換金可能なデータになつただけだよねえ? つて。

うんさうなんだなあ、稼ぎたいからなんだなあ。參つた。本當に參つた……。


感想とか批評とかさ、何でそのサイト(サービス)の中でやらないといけないの? と思ふわけだ。だつて、自分のサイトだつたらどこの作品でも評せるわけだよ、紙の本でも、なろうでも、カクヨムでも、個人サイトでも。態々利用規約に同意してログインして、なんて手間は一切要らないんだよ。一つに纏められるものを細切れに公開して、しかも、元の作品が削除されたらそれに附けた感想なり批評なりまで削除されてしまふシステムが殆どだ。馬鹿々々しいだらう。

著者に通知? だつたらメールアドレスでも公開すれば良い。私はサービスといふ圍ひの中には行かん。


自分のサイトなら弘吿等餘計な情報邪魔な塵が一切無し、作品本文とメタ情報のみといふ、最低限の簡素さ(=讀者にとつて負擔の少ない狀態)で公開出來るんだよ。


批評勢の行著くところとしては、やはりポイント制ではなく批評(レビュー)制にした方が良いと思ふんだよね(4000字以上の批評でポイント附與可能など)。もつと面倒臭くしないと。

そんでもつて、宇野常寛さんがやつてるみたいに(遅いインターネット書く事も讀む事も敎へる書き手と讀み手を育てる、つて事をやらないと、いつまで經つても素人留りだと思ふ。馴合ひで留まつてゐる事の危機感を持たせないと。應援つて言葉でごまかさずに、自分が世界にどう在つて欲しいか打明けるべきだよ。ただ點數と甘い言葉だけ附ける、それはただ甘言と金錢を子供に與へて滿足してゐる親のエゴだよ。一人になつた時、子は何も出來ない。いつかそれが愛ではなかつた、と氣附くだらう。

自分の體驗を分け與へる、といふ覺悟があるか?


投稿そのものは眞劍なんだけれどさ、私は作品に附いた反應を見る限り駄目だなつて思ふ。圍ひを見る度に狹過ぎるつて思ふ。何でこんなちつこ過ぎる世界で書かなきやいけないんだよ。

好い加減、馴合ひに甘んじるしか出來ない事に絶望してゐる著者もゐるだらう。投稿サイトにあなたの居場所は無い――言つてみれば、どこにも居場所は無い。人間としての親密さを見附けるしかないと思ふ、私は、より意識的にきてゐる人でなければ、作品をむ事は出來ない。この際、心無い反應には眼を瞑る必要もあるだらう。讀者が質の良い作品を見附けに來たと言ふなら、あなたは質の良い讀者を見附けに來たのだ。さうだらう?


批判對象の名前を伏せる、それは大抵、批判と中傷の區別が附かない著者の保險だ。アマチュア作家のエッセイなんか見てゐると、よくさう思ふ。臆病さが透けてゐるので、私は卑しさを感じる。


といふ事で、私は自らが書いた文章をノベルアップ+、もとゐホビージャパン捧げる事は出來ない。

書かせてくれた神に失禮とすら感じる、讀書體驗を損ねる(弘吿)、見返りを誘發する場所に作品を公開するといふのは。


特に小說、といふのは神聖視されてゐる。文藝の中でも需要の無い形式故に、著者が飽いてゐる。例へばブログ(ここではCMSで作成したサイト形式といふよりも、雜記を連ねる文藝形式を指す)は獨自ドメインで奔放に公開する著者が多いのに、小說となると、どういふわけか投稿サイトに公開場所を定める著者が多い。何故か――書籍化? 賞? ポイント? 感想? それらを狙つてゐるからだらうか――? どうも特殊だ、と感じる、ブログを見てゐると。ブログでは、これ程の渴望は見られない(見え難い)。ブログに賞は無く、書いてゐる本人も、いつか書籍化などと夢は見ないものだ(見てゐる人間もゐるか知れないが、餘程目立たなければ、聲が掛る事は無いだらう――いや、却つて小說よりは聲が掛り易いかもな、需要があるテーマなら)。

小說は特殊だ、と感じる――

いや、ブログといふ形式が新しいのだらう。といふよりも、これだけ普通の人が公開活動の出來るやうになつたのが、特殊、といふか異質、といふか。出版が追附いてゐない? いやいや、宣傳が追附いてゐないのであつて、充分ぢやないのかね、公的な記錄には遺らないが、誰もがどこでも參照可能な狀態に出來るつて、革命以外の何物でもないよ。これ以上望みやうがあるか。

確かにWebとそれ以外の媒體で知られる事は違ふけれども、それが大變な苦勞を伴ふやうであれば、私は今の、この獨自ドメインで公開してゐる狀態で充分だ、と思ふ。苦勞も無く有名になんて、癡がましいぢやないか。有名になる必要がどこにあるといふんだ? もつと世界が知るべき事、あるだらう? ――何なら知らなくても良い、人々は休むべきだらう、知ぬ事から。

ノベプラ、育てるその言葉の虛勢

公開だけしたい著者勢、反應が欲しい著者勢、應援讀者勢、批評讀者勢を一緖くたにして語る不適切性はあるものの、私が投稿サイトに感じる不滿は、既に擧げた。ユーザーを一律に批判するつもりは無い。個々が樂しめ、充實した生活に繫がつてゐるなら、それは良いだらうと思ふ。それこそ、いや、それのみが、投稿サイトの存在する意義だ。

ただ、ノベルアップ+を始め、現狀の投稿サイトは評價や批評を貰ふには適してゐない。育てるとは言ひながら、その目標、課題、敎材が何も示されてゐない――總て作家自身で設定しなければならないのだ。コメントやスタンプといふ、さへ與へてゐれば作家は健やかに育つ、などといふ考へは、不能だ。金を與へてゐる事でさへ、それ以上の意味を見出さない。金を貰つてゐるだけで有能な人間になれると言ふなら、こんなサイトは存在しなかつた


育てる、その言葉に僞りあり。育つのはノベプラといふ圍ひの中で甘やかされた、外界を知らない人間だけだよ。


さう、コミュニティ(サービス)內で評價を獲得するといふ事は、裏を返せば、コミュニティでの評價は全くの未知、といふ事だ。商業作家、もしくは獨立を目指す作家は、もつと自覺的になつた方が良い。を出ないといふのも一つの戰略だが、それは國が滅びたら、路頭に迷ふ事を意味してゐる。


Webには文壇が無い、と言ひながら、アマチュアの文壇に寄生する作家。


こんなものを育てると言ふなら、私はノベプラに對して、輕蔑しか抱けない。

金を與へる事の、何だと言ふのか。、作家として成長したいのだ! を舐めたいのではない!

後書

小說で收入を得る。ノベプラで出來るのは、たつたこれだけである。蓋を開けてみれば、パトロンサービスと何ら變りが無かつた。師を見附けられるわけでもなければ、批評をして貰へるわけでもない。向上は自分自身でしなければならないのだ。だから、ノベプラで得られるのは收入だけ。


身元を曝す必要が無いから、pixivFANBOXnoteよりは抵抗感は低い。それでも躊躇つてしまふのは――やはり、寄附するに價しないから、だらう。

自分の書いた物で收入を得られたら、どんなに素敵だらう。しかし一方で、私は必要とされてゐない事を知つてゐる。必要としてゐるのは私だが、それでも私がであつたなら――(少なくとも寄附といふ形では)金は出さない、と思ふ。私は書いてゐるから樂しいし、面白いんだらう。


不滿の理由には、私の成長交流のヴィジョンが、既存の投稿サイトでは叶はないから、といふのがある。私には不毛にしか見えなかつたのだ。襃める爲に無理矢理捻り出した言葉で、あなたや私を、穢したくはなかつた。


逆に言へば、收入を得るといふ事だけが目的であるならば、それ程疎ましいサービスではない。投稿サイト特有の問題(プレーンテキストしか扱へないエディタ、作品が削除されると道連れになるコメントやレビュー等)、レーティングやタグが標準で表示されない不滿もあるが、それも氣にならなければ、小說で收入を得るには適切ではないだらうか。


私はこれでさよなら。

補足

腹の底から書く
ジュリア・キャメロン著、矢鋪紀子あなたも作家になろう : 書くことは、心の声に耳を澄ませることだから [ISBN: 4-938939-30-4]