立春

投稿サイトも、同人も、authorの存在感が强過ぎて疲れる。

ただの創作者、消費者でゐる事の方がよつぽど樂で、コミティアの趣旨――ただの「お客」や「消費者」ではなく、コミティアを盛り上げる協力者としてルールを守って参加し、読み手として作品を評価、購入して描き手を応援する立場――が同人やインディーズの根幹だとするならば、私はその世界に全く向いてゐない事になる。

その感じ方といふのも――私は、創作者、そして協力者に對する感謝が、尊敬が無いのかも知れん。利用して(されて)當然、といふ意識がある。

人間が身近な世界に向かないのかも知れない。

そこへいくと、個人サイト、つてのは、本當に自分の好きにやつてゐる、完全に任意の世界だ。これ程差があると、笑へてくる。


誰かも言つてゐたやうに、發信してゐるのはさうせずにはゐられないからだ。その必要があるから、他の誰でもない、必要としてゐる私が殘してゐるだけだ。やめたつて誰が困るわけぢやない。


商賣といふのは相互の發信で、それを望んでゐない私は、商賣にも向いてゐない。

私のために書いた、私のために發信に――相互の交流はあつても良いし、望んでゐる節はあるが、必須といふものではない。だから私の活動は――それだけで完結してゐる――

私は恰好を附けたいから出版し、ええ、完全に生殖目的で書き、出版してゐる。


私は永遠の生を表現し、有用な智慧の忘却をここに防ぐ。