賞との狹間で

どうしても公募が氣になつてしまふ。應募してみたい、と思つてしまふ。

でも大手の公募は短いところで坊っちゃん文学賞の4000字(知つてゐる中では最も少ない字數だ)、新人賞ではオール讀物新人賞の50枚(20000字)。前者は魅力的だが年に一囘の募集だし、テーマが無い。後者は私の力量からすると長い

やはり短くても良くて、定期的に開催されてゐる、となるとエブリスタ超・妄想コンテストになる。

短編ではいけないのか、となると、やはりテーマがあつた方が書き易いし、ただ1000字となると、どうしても既存の作品を編輯しがちだ(それはそれで良い訓練になるのだが)。


どうして公募に參加するのか? 私は好きな事を書いて公開したいだけなのに?

……さうしてゐる人との違ひは、私が變に小說家といふものに拘つてゐるからだらう(未だに)。それと、讀んで貰ひたいといふ事、有名にならなくても良いから、皆と同じ土臺に紛れ込んで競ひたい、といふ氣持が、潛んでゐるからだ。さう、私は競ひたい、鬪ひたいのだ。自分の力を誇示したい。批評されたい。自分の力がどの程度のものか、知りたいのだ。


エブリスタの讀み手(運營者も含む)にきちんとめる人間がゐるのか、エブリスタといふコミュニティに同意出來るか、應募した作品の扱ひは、と言つた懸念もある。

應募する事に意味はあるのか、賞を逃してばかりでは樂しくないのでないか、外部に投稿したら又後悔するのでないか――恐れは盡きない。でもやつぱり應募せず自分のサイトに曝してみても大して面白くも無かつたし、緊張感も無い。


ある意味公募(投稿)つて、コミュニティへの貢獻、それ自體がコミュニケーションなのだ。娛樂なのだ。お祭り。


エブリスタ、このWebサイトの事は到底好きにはなれないし、肯定も出來ないが、ちよつと樂しむ代償として受容れられる物かどうか、考へてみる――うん、まあ、良いけど、好きでない(苦笑)。

私は公募專門で一切讀みもしなければ、當然交流も無い。完成した瞬間に滿足するだけで――本當にそんなものになるだらう。

後悔する、だらうなあ。でも公募とは契約だから、別にして考へないと。應募した作品はエブリスタに準據する。もうの物でもなければ、誰の物でもないのだ。これが樂しみの代償と、私の手を離れる、といふ事。


解つてるよ、批評して貰ひたいなら、率直にさう賴めば良い。金出してもね。

恐らく短編の方が讀んで貰へるし、感想も貰へるんだから。超・妄想コンテストのテーマで1000字書いて短編に投稿する、つていふのが悧巧に思へて來た、笑。


でも(臨みたい氣持を)書き出した事ですつきりしたかも。今年は推敲を頑張る、と目標を立ててゐた事を忘れてゐた。どうしてかう、何でもかんでもやらう、といふ氣になつてしまふのだらう。注意散漫。