R18とは:18歲
男女間のいざこざか、と思ひきや後半にスッと差込まれたゾ~ッとするリアリティが良い。さうだよ。かういふヒヤッとが無いと。世の無常さが無きや小說ぢやねえ。そこは悔しい程上手いと思つた。
が、タイトルの幻想
は後半でぽつと出て來るだけだし、旅
に關しては全然そんな感じがしないので(太一と主人公の距離感も行き來も無い)、そこは殘念。旅なんだから見知つた事、ホームシック、足の裏で步き、一つどころに留まらない感覺を描寫して欲しかつた。
あと、やはり私は說明的なのが好きぢやない。どう表現するかは作家次第なんだが、上手い事わざとらしさを拂拭して欲しいな。
何となく讀み辛いと思ふのは、私がもう讀めないからだらう(强ひて言ふなら、若干冗長、てきぱきとした說明・描寫にしたい)。できれば人名にはルビを振つて欲しかつたが、noteにはルビ機能無いんだつけ?
鹿目に缺點らしい缺點が無いのが癪。しかしそれは主人公視點で、だからこそ新たな幻想に選べたのだらう。
かう、敵/ライバル關係の男女が好きだ。かういふの、私も書きたいなあ。いつか書きさう。
あ、幻想と旅をする
つてのは、鹿目との事を言つてんのかなあ。なら納得。二人で死んだ男の軌跡を追ふ話だもんね、これは。太一の部屋で旅。なるほど……
私は努力をしない人間だから結果がお粗末でも納得できるが、極限まで頑張つた人たちはどう感じるのだらう、と思つた。
需要がないジャンルかつ古臭い文章だと言われ、
ネット小説で需要がないのを思い知らされ
たなら、もう公募くらゐしか賴るところが無いけれど、あつちはあつちで市場を意識しないといけないからなあ。
感じ方の問題、つつても、さう感じるならしよーもないよな、笑。この劣等感や不幸感は無くならなくて、書いてゐる時でさへ悅びを感じられないといふなら、別の樂しみを見附けるしかないね。
そんなこと書いても暗くなるだけだし
と本人は言つてゐるが、男女間の笧昔いたけど、ひどい嘘つき&ケチなモラハラで、利用されただけ
なんて、貴重過ぎる體驗、書くに足る素材だ。
とかく、Roseさんがかうして正直な氣持を吐露してくれて良かつた。同じやうに感じてゐる人は多い筈。
これもえげつない話なんだが、オチは嫌ひではない。
この内臓だけ頂いていきますね
つてのは、上手いね笑。まさに。
わたしはおそらく、時間はかかると思いますが世の中に出ていくと思います。才能があるから、と言うわけではなく、続けていくからです。
わたしを誰だと思っている、労働しながら5日で130枚原稿吐き出せる女だぞ。
えっちな記事書いて5000円もらうのが楽しかったのなんて最初の2ヶ月だけだ。わたしは文藝やりたい。
わたしは男の人がすきなんじゃなくて男を切らさない女である自分でないと気が済まないだけなんじゃないか、そんなふうにも思う。だとしたらまぎれもなくその行為はわたしにとってコミュニケーションではなく自傷で、屠られることを悦に浸っているだけ。
セックスの代金を受け取ったことがある人にしかわからない感情ってあると思う。それを知っているからといって何も、何もだけれど。(中略)
もうちょっと生きてみたい、って思えるようなものを書きたい。誰もが、生きたくて生きているわけではなく、止まれないからただ一歩ずつ足を引きずるように歩いているだけなのだとしたら。
わたしと付き合う男を傷つける方法は、あまりに簡単だ。ひとつしかない。
なんの文章にも、作品にも、言葉にも、残してやらないことだ。それに尽きる。
固有の作品やサイトの感想、といふよりはざつと俯瞰した印象。上手いのだが、扱ふ題材や描寫が、私にはきつ過ぎて讀めなかつた。今後も一生讀まないだらうし、かと言つて無視しておくには惜しいので、感じた事を。
熱量、技倆、讀書量、物語を夢として見る事ができるかどうか、何より集中して描寫し續けられるかどうか。途切れたらかうは書けない。言葉がガタッと外れるのつて、似てはゐても別撮りしたシーンを繫げてゐるからだと思ふ。この著者は、一氣にシーンを撮つた——一發撮りみたいな自然さがある。カメラを持ちつぱなしで撮影してゐる著者の緊張も何となく傳はつてくるやうな。過激な事を書く時、作爲的なもの——羞恥を感じずにはゐられないんだけれど、それも含めてリアリティか。
他の記事も見たが、著者は一氣に書ける人なやうだ。行爲と內面を赤裸々に書ける事、滑らかに書ける事、似てはゐるが色んなパターンで書ける事、短時間で世界を構築できる事——商業作家の要點が見事に揃つてゐる。書上げられるつてのが何より。讀書してるんだなー、つてのもよく判る(言葉の刺戟が無ければ、言葉は流れ出さない)。
私からすると普通のレベルで、何で皆ここまで辿り著けないんだらう、と思つてしまふ。エブリスタの戀愛小說なんてお笑ひレベル。別にド下手つてわけではないが、滑らかに書けてゐない人が多い。
普通に讀める、といふのが既にハイレベルなのかも知れない。
三津凛さんは男女の絡みについて別に男女の関係性で萌えることはない。
と言つてゐるが、かういふ小說はどう映るのだらう。(百合に関する私的メモ - 偏愛断簡集(三津凛) - カクヨム)
公募かあ。私は日本人が書いたものつて、それこそWeb小說しか讀まないし、受賞した小說なんてもつと讀まないんだけど、このレベルで(特に純文學系の)賞つて取れるのか。なら私でも取れるんぢやないか、と癡がましくも思つてしまふ(自分の作品を讀直してみると、流石にそれはないなと思つた)。小說——純文學——つて、もつと複雜なもんぢやないの? 凡人が書けなささうな、取材を要する、詳細な描寫があるもんぢやないのか。この人の小說はリアリティがあるし、厭はれる事も內面の氣附きも、臆さず正直に書いてくれるが、まだ經驗の範圍にしか感じない。
同じくらゐありのままを書いてゐる人は澤山ゐて——これで賞に逹するならば、匹敵する人は幾らでもゐる氣はする(氣はする、といふだけで、出版社が探してるのは、書續けられる作家だからな)。しかしながら讀み易く、私でも書けさうと思へてしまふ商業作家がゐるのは、受賞者が凡人から選ばれてゐるからである。——本人が言ふやうに、いつかは受賞してもをかしくはないし、でなくとも出版に漕ぎ著ける事はできるだらう。才能があるから、と言うわけではなく、続けていくからです。
といふ態度は、本當に淸々しいな。自分と神を信じてゐる。
とかく上手い人だ。嫉妬する。
話は色に飛んでゐて面白く、すらすら進んでいくが、一貫性。
背景の描寫は少ないが、不足
伏線とかリフレイン(繰返し現れる要素)は無い。
でも娛樂小說だつたらこんなもんだらうな。(時間の無い時にささつと讀める——でも商業小說つてそれを目指してるわけだから、公募的にも市場的にも的確に書けてゐるのかもな)
文壇といふか、純文學——藝術性——の觀點からはどうなのか、は知らない。先も言つたやうに、私は文壇にも日本の作家(作品)にも興味は無いのだ。私個人からすれば、主人公の赤裸々さは素晴しいと言へる。だから嫌ひな要素があつても、書留める事にした。
過激な日常に耐へられる(そして期待する)なら、充分に讀む價値あり。苦手な人は、主人公の正直さ以外は、薄つぺらく感じられるのではないか。
一槪に女の汚さと言へない事は確か。性と情の交換、好奇心、見下し、承認欲求、生活の向上。我々はつい相手がゐるとか經驗が多いとか何もかも掌握してゐるといふポーズを取りたがるが、その理由といふのも、見放される事を恐れてゐるからである。自らに魅力がある事と、實際に愛される事(そして相手を愛せるか)には關はりが無い、といふ事を描かうとしてゐるのかも知れない。
最後には正直になれる事が、人間關係の救ひである。さう學ばせてくれる。
例へば私だつたら、青姦した
といふのは太腿に雜草が當つた感覺として書く。その方がエロい氣もするが、靑姦したと書くよりはましと考へてゐて、私にはその語彙を遣つて書けないからさ。思ひ出では酷い事を書いてゐるけれど。遣つてはいけない言葉といふわけでもないが、私には馴染みの無い言葉だから。あまり強い言葉を遣うなよ 弱く見えるぞ
つてやつ。キャラクタが實際に言つたり、響きが良かつたら採用する事もあるだらうが。
自然に讀める文章を書いてゐる人は、餘りにも少ないのだと思つた。
發揮する個性は人それぞれ、書けるものは人それぞれ、解つてはゐても傷附いた。商業とは別の方向に向いてゐる、とは言へ。酬われない戀と知りながら追掛けてゐるやうな。いや、酬われない戀
つてのも傲慢な表現だ。そも酬いとは何だ、戀とは何だ、といふ話になる。戀とは感情でしかない。酬いとは結果でしかない。何も不公平
改めてセックスについて考へた。間違つた行爲など無いのだとしたら、あるのは罪惡感と不滿だけである。ぢや、理想つて何なのか? ……何でもない、私は獨りでゐる時、ああ神樣がさう創り、適切な道を步ませてくれてゐるんだ、と思ふ(切實に)。私の性質(それは思想を含む)を考へると、確かに現實は適つてゐると知る。
他人の事は知らない。だが自分に限つて言へば、何も不足なんて無いのだ。
やつぱ明確な夢がある人は强いな、と思つた。
著者はもうライターとして働いてるらしいけど、どこで請負つてるんだらう。就職、大學、同人、SNS? いづれにしても緣と、自ら働き掛ける情熱だよな。
著者はこれは女による女の~に出したら初めて選考に何もひっからなかった原稿。今読んだらそこそこ面白かったのでなんで通らなかったのか不明。最終に残っている5本を読んだらどれもフェミ色が強かったのでヒロインの設定が時代錯誤だったかもしれない。
とコメントしてゐるが、著者の特徵ではないか。他の記事を見ても女性的だし。(と、讀違へてゐた、この作品にはフェミ色
が足りない、といふ話か。充分に濃いと思ふけどね)
ステレオタイプや人目を惹く過激さは、一見層が廣いやうで狹い。前者はそのタイプに當て嵌まる人々にとつて輕々しく扱はれたといふ感じを受けるし、後者は實際の經驗者が少ない故に、噓臭くなる。描寫の度合ひといふのは、非常に難しい。設定が薄ければ意味を成さないし、壓過ぎても窒息してしまふ。著者はどこかで切捨てねばならない——だから本當は、どのコンテンツも、特定の受手にしか向いてゐないのだ。
何らかのイズムを帶びてゐる事は惡くないし、もし書き手が没入するなら、必然と出てしまふものだらう。それが呼水となる。
せつかく公募に參加するんだつたら、毛色の違ふ話も書けるやうになつておきたい。
アガサ、キング、太宰、芥川、なんかもさうだが、文豪は多種多樣なパターンを書盡してゐる。一人稱、三人稱、書翰體、舞臺も人物(描寫對象)も全く違ふ。別にそんな文豪でなければならないとか、目指すべきであるとかではないが。
私自身はさうなりたい——同じやうな話ばかり書いてゐる——ミキさんシリーズ(サラの需要、ジュンの順應、キリのピンキリ)に抱いた危機感もさうだし、片凝りも思ひ出も、いつかの燒直しである。だから最近はジャンル的要素の强いもの、ミステリやファンタジーや疑似洋物も書いてゐる。先の判らないものを。當然外せない要素みたいなものはあるが、まだ冒險できてゐる感じはある。
その點、nanaintheblue氏は書けるやう努めてゐるやうだ。悔しい。羨ましい。
總括するならば、私はnanaintheblue氏に嫉妬してゐるのだ。書きたかつた事、體驗したかつた事、それぞれが靑く見えるから。
そして考へた。私にとつて書く事とは何か、氏のやうに眞劍に書かなくて良いのか? ……
神に問ひ質せば正しく在りなさいと言はれ、大事な人からは、初心を示された。本當の意味での初心。救ひの實感と、なぜここにゐるかの自答。答へは明らかなのに、私が俗慾を手放せないでゐるだけなのだ。
批難は簡單だが、讃へるのは難しい。敗北でもないものを敗北と捉へ、次元に無いものを現實と捉へるのだから、恐るるは己でしかない。
nanaintheblue氏には書續けて欲しい。實生活がどうあれ、樂しくて、溫かで、面白いから。
私に無いものを吐き續け、あなたは何を、この世界に實踐するだらう?
(私は人を裁かずにはゐられず、その爲に無視するしかない)
私の物語はこんなもんじゃないのに、こんなもんかって読まれなくなるのは悔しい。娯楽として、替えが利くと思われるのは嫌なんだ。
でもどうせ思はれるし、他人なんてコントロールできないし、だから見榮を張るのは無駄だと思つた。實際のところ、自分だつて厖大な他人の作品を見捨て
て來てゐるんだからさ。
確かに時間を無駄にさせない爲の配慮、は無いよりあつた方が良いだらうけれどね。氣になるなら最新話の後書に手を加へるなり、粗筋に書けば良いんぢやないの? そんな氣にする事かなあ。
インターネット上の付き合い
も現実の付き合い
の一部だらう。いづれにしろ必要以上に寄り掛かるのはやめよう
といふ事にはなるのだが、インターネット上の付き合い
が實在しない人間との附合ひであるかのやうに振舞ふ——讀んでさう感じた——のは、どうかと思ふ。確かに顏が見えず、簡單に發信できるが故に、思慮の行屆かない言動になつてしまひがちなのは認めるが。
要するに、閉ぢた輪の附合ひ、といふ事かな。見え方の一部でしかない。
なぜ投稿するか、か。宣傳、感想、あたりが狙ひだつた。一人でも知つて貰へればつてやつ。
でも結果——過程かな——アクセス解析が氣になり過ぎたので、やめた。
エブリスタにはコンテストといふ明確な理由があるが、では受賞してどうなりたいのか、と言はれると、明確なヴィジョンは無い。自分の實力で通るのか、正假名の作品でも通るのか、を試したかつた。そして單純に、皆でお題に沿つて書くのは樂しかつた。敎室で自習をしてゐる感覺。加へて、應募作品にはテンプレ(所謂粗筋タイトル、溺愛もの)も少なく工夫を凝らした作品が多いから、讀むのも樂しいんだよね。妄コンは8000字規定だから、長文が苦手でも何とか讀めるし。で、讀んでると自分でも書きたくなるのだ、笑。
人目を集めずに人氣を得るといふ我儘は通らんので、私は(投稿サイトの利用を)諦めた。
作家にとつて何が目標か、私にとつて何がゴールか、はいつも考へてはゐる。
一つ言へるのは、目的も無く道具を利用するのは、愚かだといふ事だ。なぜか投稿サイトに憧れてしまふものの、利用したからと言つて何者かになれるわけではない。人氣が出たら嬉しいだらうが、常に書續ける道は變らない。溫かい言葉を貰つても、あ、今日書いてないといふのは、自分が一番解つてゐる。その痛みと焦燥は、書く事でしか慰められない。
Internet Archiveは消えるかも知れないし、パブリックドメインにしても、誰も利用しないかも知れない。
だが、もし文章——情報を記錄しておく——の本質を重要視するなら、私がすべきは、10年後であつても、100年後であつても原型を留めた文章を利用できるやうにしておく事である。私の初心とはその本質で、進退を決める時には必ず考慮しなければならない事だ。
地球規模のスパンで見るならば、やれPVだの感想だの交流だの、儚い慾望でありエゴであるとも思ふ。確かに一生も重要だしやり直しもできないけれど、私は記錄の保存に人生を懸けたいと思つてゐる。保存と作成と管理、それが私の生き甲斐
つーか、よくよく考へると、公共の文化資產を個人の裁量で轉載したり交流の出しにしたりするつてやべーな。
その生き甲斐にだけ、私の居場所がある。
感想について——私は投稿サイトといふよりも、その文化、慣習、クリエイターの態度に失望してゐる。公のメッセージと私信をごつちやにしてゐるといふ點で。敬體を讓るとしても、ありがたうございますつてのは何なんだ? 昔感想の御禮は感想欄に書くなでも書いたが。交流や意見交換は、非公開の通信か、專用のスレッドでやつて貰ひたいもんだ。作品に加へるな。
作家
參考:私信はメールで伝え、共有したい情報はwebページに載せる - 雑記 - AZ store
私も人附合ひは苦手だ。一時期は投稿サイトで感想を書いたり、ブックマークしたり、スター(ポイント)を送つたり、といふ事をしてゐたが、やめる事にした。影響を考へて、氣に病んでしまふからだ。加へて、他人のサイトにコンテンツを置くのはこはい——といふか、そのサイトでしかできないつて凄く閉鎖的で不便だと感じるんだよ。
メールを送つた事もある。でも作品の感想だつたら公開
——ただ、思ふのは、もし商業作家になり、業界人と仕事ができるなら、各分野のプロフェッショナルから樣々な智見が引出せるだらうといふ、それによつて良い作品を作り出せるだらうといふ、さういふ期待だつた。
それができぬから、私は不幸であり下等であるのだと、時々氣の滅入る——自分の才能が惜しくなる事もあるが、結局はどうにもならん事なので、私は諦めようと努め、面白いテーマを見初
皆が投稿サイトやSNSで挨拶廻りをする代りに、私は手打ちでメタ情報を埋込むわけよ。
Webとリンクの力を信じてゐる。その行爲でさへ、私の趣味
三行から参加できる 超・妄想コンテスト 第127回「やまない雨」應募作品
好い加減名前と好きな相手の性別でどんでん返しをやるのは止めて欲しいよな、つて思ふけど、それは讀者が引つ掛る(その程度の情報で性別を斷定する)からでもある。といふ事は、私は自分に對して怒りを感じてゐるのだらう。
現代において、性別の錯覺は、我々の凝り固まつた槪念を嘲笑ふ存在でしかない。
死んだ女とそのストーカーと女の兄が出て來る話で、構成も割かし綺麗でミステリとしては普通。
ただ私は凄く氣に入らなくて、暫し長々とその理由を書いてゐた。が、本文を讀返してみると、それ程酷くはない話なんだよな。寧ろ私自身が書きさうな話、といふので氣が滅入る。
明確に氣に入らないとするならば、作者が主人公の性別を伏せてゐる事と、後半で兄が自分語りを始める事か。
後者は別に良い。兄は主人公に恐怖心を與へたくてさうしてゐるんだらうし。自己顯示欲が强過ぎるのが疵か。私は長くてくどい科白が嫌ひなのだ。
どんでん返しつてのは、ひつくり返つた事實そのものが面白くなければ、意味は無いと思ふ。酷くすれば幼稚といふ事にもなりかねない。
男と思つてゐたのが女だつたから何なのか、女である事で物語に進展や變化があつたのか。なぜ作者は性別を伏せたのか、そこが問題だ。びつくりさせるだけのびつくり要素には、下品さを感じる——それだけで手を叩くだらうといふ、讀者の子供扱ひではないか?
例へば探偵がゐて、男と思ひ込んでゐたが故に主人公を見附けられなかつた、とかならまだ活かせてゐると言へるだらう。あるいは、兄が女は殺さない主義で憎みながらも殺害を躊躇してしまふとか、監禁して妹の代りにしてしまふとか。その方がまだ女である事に意味が見出せる。性別にこだはりがあるなら、それを明確な形で活用して欲しかつた。(强ひて言ふなら女子校
といふ點か——私が性別にこだはつてゐるだけか?)
びつくり要素といふのは一種の不快感で、敢へて負はせるからには、それが物語の中で重要な要素
一方で、兄が兄である事には充分な理由がある。
女の身近にゐられて・しつこくても邪險にされず・そつくりに變裝できる。近親者なら簡單に條件が揃ふ。近親相姦のタブー視を引つこ拔いたら何が殘るのか——どんな意味があつたのか、を考へるのは意外にも重要だつた。
さう、センシティヴな內容はね、ちやんと理由が必要なんだよ。でなければ、ただ眼を惹くだけのお飾りだ。
しかし、かうまでしてきちんと理由があるのに、安つぽさやくどさを感じるのは、單に私の好みか。
春深さくらを殺したのは、一体誰?
ひとこと紹介文にもあるやうに、そしてあつさりと兄や主人公が本性を表したやうに、この物語では(さくらを死に追ひ遣つた要素
最もさくらに近かつた彼らが、肝腎の死の眞相には辿り著けない、といふのが悲慘であり皮肉、して來た事の酬いなのだ。それを强調するやうな、主人公の死も、兄の殺人も、總て無駄になるやうな、そんなオチが見たかつた。
兄がぺらぺら語り始めた時點で、主人公の末路は簡單に豫測できる。なら反擊の構へを見せ、どちらが生殘るか判らないやうな作りにした方が、まだサスペンスらしかつた。最後にちよつと、主人公の生意氣な科白がありやいんだよ。そしたらもう、決著は讀者の想像次第ぢやない。
私が重要視するのはオチ、皮肉——つまりは酬いだ。この物語では主人公も兄も、程度の差はあれ同情もできないやうな惡質な人間で、はつきり言へば死んでも困らない人間なのだ。善良な人間を一人死に追ひ遣つたかも知れない人間と考へればな。だから、眼に見えるもの——行動——惡質な奴が惡質な奴を殺すつてのはオチでも何でもないわけだ。それは惡黨の小競合ひに過ぎない、笑。オチは、テーマを司るものは、彼らが身に纏ふものそれ自體にあるのだ。
作者にさういふ意圖が無かつたとしても、物語にはその意圖があつた、と私は信じる。
ストーカーの自分が知らない謎、ストーカー對ストーカー、祭壇
(佛壇ではなく)の前の暗い雰圍氣、は好きだ。せめて主人公か兄か、どちらかの心情によれたらなあ、といふ感じ。
敵前に乘込む(主人公は認識してゐないけれど)、といふ兩者の度胸・シチュエーションも良い。それこそ兄だつてやり返されてたかも知れないんだし?
私は騙された=推理できなかつた事に耐へられなかつたが故に、嫉妬した。この作品は全體的に上手くできてゐる。私が納得できなかつた、といふだけ。恐らく受賞、でなくとも優秀作品に選ばれるだらう。
納得できない理由の一つには、男が優勢に立つてゐる、事があるかも知れない。私は男が上に立つやうには書かない。登場する女はいつも男を騙し、でなくとも本氣では愛してゐないのだ。どこか抵抗や嘲り、不信を抱いてゐる。一種の男性嫌惡
でなくとも、私はストーカーの心情(異常な執著心)が理解できない。だからこそ溺愛ものは繪空事のやうに感じるし、主人公や兄の言動は空々しく響く。これはフィクションだと感じさせられる。描寫(の理解)を凡人に寄せるのであれば、人物の心情はもつと俗らしく、そして誰もが庇ひたくなるやうな良心を抱へてゐなければならない。溫かさを。
繰返しになるが、長々とした科白——といふか、獨白か——は嫌ひだ(私も私言葉でやつたが)。書くならもつと自然體で書いて欲しい、と常々思ふ。エッセイと勘違ひする程の自然さで書くべきだ。作り物らしさを感じる時點で、人物に成切れてゐない。
さうだな、コンテスト應募作品を度々見て思ふのは、奇異(纖細
いづれにしても同情——讀者
小說は、皮肉や酬いが無ければ、凡作。
さくらの死が兄の酬いだと言ふなら、この後に遺骨(本篇
同日追記:
酬い、つていふのはして來た事の積重ね。惡い奴が不幸になる事でもなければ、良い奴が幸福になる事でもない。結果に納得できるかどうか、つてのは殘響——一貫したテーマ性がそこにあるかどうか、に掛つてゐると思ふ。だから、私は先に擧げたやうに、誰が殺したのかといふ點に、重きを置いた。誰が殺したのか。事實として、彼らは何も把握してゐなかつた。そこに皮肉を見出したのだ。兄も主人公も、これ以上何も得ない——だから、本當は兄や主人公が何をしても、どうなつても、關はり無い事なのだ。さう解釋したので、結末を綺麗に締めたかのやうな描寫が、氣に入らなかつたのだ。彼らは酬いを受けた。既に。
雨をオチに遣ひたかつたのだ、と今更。にしても微妙なオチだけどな。雨が必須の要素でない——例へば、さくらとの思ひ出に雨が絡んでゐるとか——そこまで徹底するのは酷か? 私も稀薄なものを書いた(客と店員)。
2020年發。居場所の問題。
マーケット/大衆に向けて書けない人間の居場所。無論人の眼など度外視すればどこでだつて書けるのだが、さう單純でもないのが、人の情といふもの。
マーケットに向けない、と言ふか、潛在讀者はゐるし、宛てても書いてゐるのだが、ある程度膨れ上らないと讀んでも貰へない、といふのが辛い。
エブリスタのコンテストはPVやスターに依らず選考して貰へるので、それだけで嬉しい。救ひ/酬いと感ずる。
戰略ではないんだが、同じやうに感じる人がゐてほつこりした。或いは、選出の仕組を備へてゐるメディアに參加する事が、作家としての戰略。
応募出来ただけでも嬉しいんですよ。
(【本文】なぜ私はエブリスタで書くのか、あるいはエブリスタにしか居場所が無いのか|4ページ - 小説投稿エブリスタ)
2020年發。眞面目なエッセイ。
他の投稿サイトとの比較、不滿や疑問についてもはつきり書いてゐる。
私も規約にはびつくりしてゐた、笑。
かう、眞摯に確認してゐる人がゐると安心する。規約に關しては利用する上で當然の事ではあるのだが、餘りにも讀んでゐない(或いは眼を瞑つてゐる)人が多いと感ずる。
2019年發。宣傳中心だが、書き方(讀み易さ・簡潔な表現・ジャンルや粗筋とのマッチ等)についてまともな講釋あり。
小出しの風呂敷。實例を伴ふ描寫。Web小說向け體裁。
2020年發。コミュニティ、フォロー、ペコメ(ページコメント)など交流中心。
これに倣ひ、私も豫約投稿は00:00にした、笑。
できる範圍での交流。
スターや本棚を利用したりされたりして思つたのは、反應を恐がる人間には、投稿サイトは全く向いてゐないといふ事。そして作品を公開してゐる以上は、作者の意思に拘らず交流に卷込まれるといふ事だ。
始める動機がどうあれ、大事なのは、自分の(ス)ペースを見附け出す事。
三行から参加できる 超・妄想コンテスト 第96回「とける」佳作作品
自業自得といふか。甘え。子供のままだつた。いつまで待つてゐるつもり?
苦くて良い話。御馳走樣でした。
これが現實だと、ハートを送つてゐるのはナオキ、笑。課金がテーマなら、さういふ話でも良かつた。
でも私が豫想できたつて事は他の讀者もさう豫想したかも知れないし、これはこれで。
とは言へ、タイトル的には、金にオチる展開にして欲しかつたよね! そこが惜しい、ほんと。良いタイトル、良いシチュエーションなのに……。タイトルつて體であり殘響だからさ、そこには拘
エブリスタ×Dr.PHIL ショートアニメ原案コンテスト應募作品
ガチガチの販促感はあるが、主人公が爽やかで、流れも綺麗に纏まつてゐる。
變にうじうじしてゐないのが良い。ショートアニメの原案なら、これくらゐ輕快な方が適當だらう。
强ひて言ふなら、飛拔けた面白さは無い。良くも惡くも、安心して讀める話。
エブリスタ×Dr.PHIL ショートアニメ原案コンテスト應募作品
手作り化粧品! その手があつたか~
でも市販品の販促にそのストーリーはどうなんだ?笑
美容の祕訣は戀心★つてなアイディアは好きなので(タイトルも上手いと思ふ)、作品はそのまま殘して欲しいな。
言葉はたどたどしいが、何より綾が正直に氣持を紡いでくれるのが良い。
呼捨てになると印象も違つて來るね。
三行から参加できる 超・妄想コンテスト 第129回「星降る夜に」應募作品
發想の勝利。
私が空の星以外で發想した結果、星たべよしか浮ばなかつた。
三行から参加できる 超・妄想コンテスト 第125回「取り合い」優秀作品
まさかの、食べ物の擬人化。私では絶對思ひ附かなかつた。
三行から参加できる 超・妄想コンテスト 第127回「やまない雨」應募作品
事件發覺後、外には警察。アパートの一室で血塗れの證據を處分するには……?
種ははあ?といふ感じだつたが、確かに隱滅のプロでもなければ、さうする事が自然なやうに思はれた。私が思ひ附くのでは、萬年筆のインクをぶちまけるとか、漂白劑をぶつ掛けるとか。家にあるもので證據を破壞するつて難しい。
刑事が聞いたつて言ふなら、そこを描寫してくれればまだ狡いとは感じなかつたか。
これがミステリであつたならぼこぼこに叩いてゐただらうが(苦笑)、あくまでヒューマンドラマ(人間性がテーマ)だからな。問題なのは、肝腎の人間性に何も訴へる事が無かつたといふ事か。事件のトリックで驚かせるのは、ミステリの手法では? さういつた意味では、加害者の動機や心情、逮捕時の反應・主張を描いて欲しかつた。
私だつたらこんな奴に眼を附けられなければと思ふのだが、刑事さんは加害者に同情的らしい(本氣で雨がやんでいたなら
なんて思へるか?)。
雨から作り上げる極限狀態(日常から非日常の昇華)、證據を隱滅するアイディアは素晴しいんだから、ミステリに焦點を絞り直して書いて欲しいなあ。
三行から参加できる 超・妄想コンテスト 第125回「取り合い」應募作品
コッテコテの海外文學風、笑。しかし米國現地であつたとしてもこんな書き方はしないだらう(したとして初心者)。
說明の科白が延々と續く。
說明する程に、謎が增す。
「これで、写真を撮れば良いんだな」→
最近は、妻に内緒でずっとこうして生活している。?
ずっとこうして生活している。つてのが賞金稼ぎの事なら、偉く不自然な言動ぢやないか?
自殺するつもりだった?
弾が残っていない。
一人で暮らしていけるだけの大金なら、一人殺せば充分だらうしな。それともノルマがあるのか?
自分の部屋で、實家ではない。
平凡な大學生を平凡な主婦が殺す理由。賞金の取合ひは惡くないアイディアだが、關係の無い人々を卷込み過ぎた、笑。
莫大な遺產を繼ぐ(豫定)だとか、寶
せつかくジャンルがヒューマンドラマなんだから、ブラウンを擊ち拔き、シェリーがリストにある時點でにつこりして欲しかつたな。だつてアレックスには働きたくないといふ明確な理由がある。そして今や銃で人を擊ち殺したといふ、貴重な實體驗もある。ある程度一人で暮らしていけるだけの大金
で悠々とタイプライターを打つてゐる方がお似合ひぢやないか? 検索履歴を消すという簡単な作業も出来ない
人間が見附けられるやうなサイトなら、アレックスだつて簡單に辿り著けるだらう(となると、餘計このサイトの目的が氣になるなあ。警察に眼を附けられない理由は?)。報酬を受取る時、サイト運營者の正體が垣間見える……といふのでも面白い。
お淚頂戴に持つていくのは良いが、ヒューマンドラマを名乘るなら人間臭さを出して欲しい。金の爲に人を殺す、最期で改心する、どちらも人間臭くて行動に語らせてゐるものの、餘韻が無い。アレックスはただの甘えたガキで、精々殺人を吿白するだけの誠實さがあつた、といふだけ。いつそ、この出來事を小說にするとか、例のサイトを追求する爲にジャーナリズムに走るとかさ(それで命を狙はれる、といふのも面白い——要するに、設定を活かし切れてゐない。面白くできるのに! 作家にとつちや怠慢も良いところだ)。勿論、賞金稼ぎの事は警察に言つたんだらうな?笑 私はそつちの方が氣になるわ。
素性をそのまま語るつてのもどうなんだ? 大抵の人間は私はニコラス・シェリー。ニコラス・ブラウンという夫を持つ、どこにでもいる主婦。
と言出した時點でうんざりすると思ふんだが。平凡な主婦、子無し、スーパーでの仕事。これ、必要な情報だつたか? 確かに平凡な學生を狙ふのが平凡な主婦、といふのは意外性があるが、それだけだ。主婦でなければならない理由、そして主婦でも(賞金稼ぎを)できてしまふ理由が欲しかつた。殺し屋の主婦は實在するかも知れないが、フィクションである以上、種は必要だ。
犯行の前にべらべら喋り捲るのは違和感がとんでもないが、私は實際に犯罪を犯した事が無いし、登場人物は殺しの素人。緊張を紛らはしたり罪惡感を減らしたり、といふ爲に話す事はあるかも知れない。しかし小說として讀まされると、單純にくどいと思ふ。
あと、全體的に冗長。例。
アレックスはまずいと思った。
こいつはイカレてる。アレックスはそう確信していた。
がしかし、それと同時に死んだと思っていたシェリーがアレックスの近くにある拳銃を取り、それを夫であるブラウンに向けた。
アレックスはシェリーが持っていた拳銃が自分の左足に転がっているのを発見した。とあり、直前の段落に
アレックスの神経は左足に集中していた。ともあるんだから、拳銃を取つたで充分。
それと、
それを夫であるも要らない。
見てみると、代名詞が少ないんだな。彼(女)なんて、1ページにしか出て來ない。名前も、何度も出す必要は無い。主語は(意味が通じるなら)省いても良い。
この作品の場合、タイトルの一触即発
がそのまんまテーマで、ジャンルで言へばサスペンスになるんだらう。內容としてもミステリ向きでは? ——しかしミステリにしては謎が放りつぱなし、ヒューマンドラマにしては人物が淺過ぎ、どつちつかずといふ氣がする。サスペンスに特化するなら、オチにも不穩と謎を置いて欲しかつた(聽取が終つて警察署を出たら拉致られるとか、翌日の新聞にアレックスの死亡記事とか。一觸卽發といふテーマからは外れるが。でも翌日に彼が自殺してゐたら、それはそれでよくできた話のやうにも見える——いやいや、やはり賞金稼ぎを始めて、それを題材に小說を書き始める、といふ方が皮肉が利いてゐて好みかな、私は)。いや、大團圓でも構はんけどね……。私が安直な安心が嫌ひといふだけで。
コンテストのテーマは取り合い
——ブラウンとシェリーは互ひに命を取合つたが、アレックスに關しては何も取つたり取られたりしてゐない。彼にも取り分を與へても良かつた。
一觸卽發に沿つて緊張した狀態が連續する展開、に掛けてはよく書けてゐると思ふ。矛盾した說明でぶち壞しになつてゐるだけで。
ブラウンが乘込んだところに更に警官が乘込んで來て、アレックスがほつとしてゐたら警官が三人に向けて——といふのでも笑。皆殺しつてのも、サスペンスではやり盡された手だけど。
私も一觸卽發をテーマに書いた方が良いやうな氣がしてきた。これだけ文句を言つてるなら。
反面敎師、と言ふと著者は良い氣持を抱かないだらうが、不滿を解剖していく事で、得るものは確かにある。私が書きたい(讀みたい)ものも見えて來るし、著者にも何らかの手掛りが見えて來たんぢやないだらうか。
(自分も含め)アイディアは良いのに、オチや描寫で凡作になる、つてのはよくある。私が嫉妬するのは多くアイディアで、どんなに內容が酷くても眼に留つてしまふのだ。
著者の藤田あまゆ氏は、明らかに一人稱の方が向いてゐる。この一触即発は、29作も書いて來たとは到底思へない出來で、私は素人が書いてゐる前提で上記の所感を書いてしまつた(却つてそれが良かつたか知れないが)。noteのエッセイを見ても、過去の一人稱小說を見ても、そちらの方が讀み易く正直だと感じる。人稱の違ひでここまで質に異變が起きるといふのも、面白いし奇怪だ。 後の三人稱小說(ROUTE X、Lake)を見ても、冗長さと齟齬のある描寫は拔けてゐない。敢へて海外文學風に書いてゐるのだらうが、それも的を射てゐなければ意味は無い。笑はれる小說は書いても良いが、嗤はれる小說は書いてはいけない。突つ込み待ちかと邪推してしまふ程だ。
無論書いてはいけない
といふ事もないし、私は寧ろ待つてゐるのだが、あまゆ氏のアイディアと文體で讀みたいが故に、私は書いた。作品は消さずに遺し、書續けて欲しいのだ。
要因が何であれ、好感の持てる(續きが氣になる)作家がゐるのは、良い事ぢやないか?
三行から参加できる 超・妄想コンテスト 第127回「やまない雨」應募作品
場當り的な、殘り僅かな生の戀愛。死しても何かしらの感情は殘り續ける、といふのが人と人との出逢ひ。
シチュエーション共に好き。
死に別れた女たち。煙草の描寫が細かい。別れた後の變化が感じられて良い。
英語が異世界感・SF感あつて好き
殆どがセックス描寫。
でもただの溺愛だけではなくて、きちんと痛みのあるのが良い。
痛々しい何かを丸いもので包み込んだ心情で、日常が流れていく。
はつきりと(相手に氣持を)言はないところ、良いと思ふ。締め、好きだ。
妊娠しなかつた件については、私もうつかり騙されてしまつた笑。種が判つてみれば、物凄く單純な事やね。要するに主人公は相手を騙してゐたわけだ、本當に(子作りの爲の結婚だから)。
氣になつたのは、家を出て行つてから平然と工場で働いてゐる事。
家を出て歩き始めた
といふ行を見ると、何だか手ぶらで呆然と步いてゐる圖が浮ぶ。財布や著替へは持つて出たのだらうな。
給料はどうやつて受取つてゐるんだらう? 口座振込だつたら……(引落しなり)口座の金が動いてゐれば、彼女を探してゐる親は氣附きさうなもんだけどなあ。意外と見附からないもんなのかな? 金持だつたら金で解決出來さうな……。探偵とか傭つて見附け出しさう。
話の要素としちやどうでも良いところなんだらうが、何だか氣になつてしまつた。私はばつくれた事が無いから何とも言へない。
確かに辨當製造の工場は24時間體制で稼働してゐるらしいなあ。朝夕晚と配逹してゐるんだから、當然か。
それと、女物の(と思しき)車に乘つてゐる男、など妙なリアリティがある。どこでも良いつて言つたらラヴホ連れて行かれたりとか。この邊は作者の見聞から來てゐさう。
これも隨分前に讀んで、一度ブックマークを消してしまひ(すぐ見附けられるだらうと思つてゐた)、探すのに苦勞した。どこのサイトを見て廻つただとか、サイト名が日本語だつたか英語だつたかとか、それすら憶えてゐなかつた。更には、最近の個人サイトは個人サイトにリンクしてゐなくてなあ。昔はリンクページの無い事の方が珍しかつたのに。今は干涉を避けたい人、ブックマーク(評價)はSNSや投稿サイトに一任してゐる人、が多いのだらうな。
空き巢と、盜みに入つた家の家主との同居。
百合とはあつたけど、良い意味で百合つぽくなくて良かつた。自然體。最後まで愛してるとか好きとか、さういつた直球な愛情表現が無くて良かつた。無くても叮嚀にねねのマコへの氣持は傳はるし、マコからねねへの氣持も傳はる。
ある意味で女性である事の必然がある。ねねが男だつたら、マコは同居なんてしなかつたと思ふし(兄の事があるから)。
さらつとだけど近親相姦の描寫がある。氣持惡いと感じたけれども、案外近親相姦つて、溢れてゐるのではないかと思つた、現實に。一線とは思はず一線を越える、といふ事がよく行はれてゐるのではないか。特に子供の時。好き、といふよりも、單純に性行爲への好奇心から——私は和姦を想定してゐるけれども、强姦も普通にあるよな。後になつてから意味を知り羞恥と絶望に苛まれる、つていふのは澤山の人が吿白してゐる。
ねねの嫌惡感もよく解るし、ねちよねちよと泥のやうに絡み附くマコの、兄への盲信が、何とも辛く、痛々しい。引き剝がしたくなる。ドア一枚隔てて……といふのは遣り切れない。本當はねねも解つてゐたんぢやないか。家、そんなに廣くないだらうし……?
さう、大體の人がうすうす
わかって
ゐる。
心の支へだつた祖母と似たやうなばあさんからも掏
良い締めだと思ふ。やつぱかうでなくつちや。
色々な意味での訣別。
文字通りの締め。漸く、本當の意味で祖母に聲を掛けられるのかも知れない。自分を騙して生きてゐた間は幻想に對して甘えてゐた感じ——さう、マコが兄の理想像に縋つてゐたやうに。
實際、身分證も無くて、自分の名前を忘れてしまつた場合つて、どうなるんだらうな。身元不明で裁かれる事つてある?
でもニュースで自稱田中太郞みたいなのとか聞くしな。特定出來ない時は假
リンクに關しては見られたくない管理者にに書いた。
私はただ作品が好きなだけだ、で、久し振りに感想を書いてみたいと思つた。
やつぱ、投稿サイトでなく個人サイトで良い小說見附けたいよなあ(今囘は文芸Webサーチ經由)。
ちなみにスリは掏摸もしくは掏兒と書くらしい。
讀んだのは二月だつたか、三月だつたか。內容もうろ覺え。でも感想を書留めたかつた。良い作品だから。
作者のさとみさんは第三十一回文学フリマ東京に出るとの事。感想を書いた私が、向ひのブースかどこかにゐて、會はうと思へば會へるわけだ。世界は狹く感じるなあ。