掌くるくるどころの話ではない

投稿の再開?

ノベルアップ+に登錄する(豫定ではあつたが、後に考へが變つた)。最近ステキブンゲイといふ投稿サイトも出來たが、ラノベを廢した以外に目新しさは……。でも、一般文芸に焦點を當てたのはでかいと思つてゐる。結局どこも何でも投稿出來ますだから。で、皆同じジャンルを書始めたら、それはなあ……。システムだけでなく、列ぶ作品すら似通つたら――つまんないし、流行つてゐるジャンル以外には居場所は無いと感じる。

ではなぜ再開か――の爲

お金の問題はなあ……。自分のサークルを持ちたい、同人誌が作りたい、BOOTHで販賣したい、……。さういふ慾がごつた返してゐる。鎭まつては襲つて來る。

でもこれ以上(セマンティック・ウェブ的な意味で)槪念を增やしたくない、管理すべきサイトを增やしたくない、するべき事を增やしたくない――大事な事から眼を逸らしてゐる氣がする――もつと簡潔に、もつと簡單に、坦々と更新していきたい。

この場合のお金とは何なのだらう、そりや、私も書くだけで生計が立てられたらとは、心の底では思つてゐるけれどね。お金とは……。確かに持つてゐて損といふ事も無いけれど……。貰へるなら貰つておく、といふ態度で良いのか? 私、何と言つてゐたつけなあ……(白い窻後書)。あの時感じた怒りは……。正直に吿白すると、くれくれといふ態度、讀者に媚びる態度、友逹になるといふ事でさへコンテンツとして賣らうとする態度、などが許せなかつた。結局それつて賣春と同じぢやないの、心を捧げてゐるやうな振りなんぢやないの? それで誰かをへてゐるなら良いとでも言ふのか?

純粹にコンテンツで勝負してゐるなら良いやうな氣もするが、先行公開限定公開といふものに、私は價値を感じない。公開するなら、それこそ誰にでも利用して貰ひたい。だから限定ひみつも作れないし、ここでしか得られないものは作れない――强ひて言ふなら、そのアイディアだけ。を附けられないのだ。だから私は、ここで差を附けませう、隱しませう、といふ敎へに直面するといつも困惑してしまふ。ああ商賣には向いてゐないんだね、さやうなら。それなら、必要とされてゐないなら、誰も買はないと言ふなら、――ああ、好きに書ける家に戾るよ、私は。商賣なんて、糞食らへだ他人の需要なんて知るか、自分の取柄なんて知るか、私は私が必要とするから書きたいんだ、書いてるんだ、小說家で在りたいから書いてゐるんだ。自分で認めたいから書き、自分で認められないから書いてゐるのだ。

執筆ふで專門せん

次に私が呵責に感じてゐるのは、他人に興味が無い小說が讀めない事である。これは投稿サイトでは致命的でないかな。いや、別に交流評價は必須ではないのだけれどね、(相手が勝手にする事だとしても)自分だけ施しを貰ふのは、どうにも抵抗がある(と言つて、貰ひつぱなしの人生を送つてはゐるが)。これは自分のサイトでは感じない――だつて、好きでしてゐるわけだし笑、別に何の目的も無ければ、さう、他人に何も感じてゐないといふ事だらうから。他人の氣配を感じない――だから今こんな事を始めようとしてゐるのかも知れない。

ノベルアップ+つて作品が探し難いし、ぱつと見たところ好みの作品が無い……。そして又、私は自分の好みを說明出來るだけの言葉を持たない(本當に)。自分の作品も同じく。强ひて言へば萌えの一步手前が萌える、といふか笑。さういつた意味では、ムーンライトノベルズ(18さいじようたいしようの方が、質的にも內容的にも好みが多いと言へる。キーワード檢索が良いんだらうなやつぱ。後、槪要を踏込んで書いてくれる。18禁枠だからかも知れんけど。

死後に原稿はどうなるか?(永遠に生きるといふ事)

私は死後の事も視野に入れてゐて、だからおいそれと販賣は出來ないのだ。考へてみて欲しい、自分の死後Kindleに提出した作品がどうなるかを――それを言つたらInternet Archiveもさうなんだが、でもKindleのやうな限定的な形式に縛られるよりか良いと思つてゐる。

それに加へ、無名の個人である事や宣傳が苦手な事からして、賣れない(そもそも知らない)となれば、それは實質公開してゐないのと同じである。だから販賣といふ手はもう無いといふ事になる。とは言へ、知名度に關して言へば、無償でも有償でも同じか。無償の良い點としては、少なくとも內容そのものは利用出來る、といふ事だ。

さう、Kindleの厭なところは、Kindleでしか鑑賞出來ない事だ。賣る事の難易度は自家通販よりも低いのだが、やはり頒布といふ點ではやり方が劣るし(コピーもし難い)、閉鎖的と感ずる。

遺るといふ確約が無いのと、(自由にアクセス出來る)記錄が取れないといふのがな――販賣や投稿に關して、私が專ら氣にするところである。だから自分のサイトで公開してゐる。

小說は嫌ひだし、利用したい外部サイトも無い

投稿サイトを見て廻つて思ふ事は、もう私は小說といふものに關心は無いし、寧ろ憎んですらゐるといふ事だ――それが有效に働く時といふのは、單純に私が書く時でしかない。私は投稿や作者を怨み、嫉み、そして煩はしく感じた。

多くの投稿サイトはレーティングを活用出來てゐないし、ユーザーはエロ(性的對象としての人間)を平氣で書いてゐるし、うんざりだ。氣持が惡い。純粹に――受附け無い。その上、讀み辛い・探し難いデザインばかり。

眞面目に投稿したり批評したりするユーザーに出くはしても、それはそれで傷附く――何故なら、上手い面白い人はごろごろゐるからだ。自分がいかに退屈で、不眞面目で、(他人にとつて)需要の無い作品を量產してゐるか解る。

――私は、そんなサイトを利用してゐるユーザーを、心底輕蔑してゐる。あるいは、そこで樂しさうに書いてゐる人たちを、嫉んでゐる。


そんな狀態でユーザーにならうだなんて思へるのか、その輕蔑を押殺して、目的すら解らない利益の爲に登錄しようだなんて思へるのか。それは不誠實ではないのか。自分が輕蔑する方法で、輕蔑する人々に評價して貰ふ事など出來るのか、果してそれは評價なのか。

める人々は少數で――ああ、理解して貰ふ事など、到底不可能だとしても――ああ、私は何を求めてゐるのだらうね? 何をして貰つたら嬉しいのだらうね? 何がしたいのか、何が面白いのか、何が理想なのか、それすら解つてゐない。

生計を立てるだけの收入は――もし今よりも樂な狀態で得られるなら欲しいけれど、それ(をしたくないの)は既存のサービスですら有り得ないからだ。眼を瞑れるところなどいくらも無い、不適切と不快ばかりがある。


さうだな、私にとつての收入とは、小說でも何でも無いんだよ、今より樂な狀態で得られるならそれで良いんだ。ただ、信條や情緖に反した事で得るといふのは、耐へられないだけ。それは今の狀態でも同じなんだが、どちらが……といふ天秤で掛けると、まあ、今の方が樂かな、とは思ふ。必要な時間以外は本當に好きな事だけ出來るから。

小說だけで收入を得られるやうになつたら、それは好きな事だけなんだらうが――どうだらうねえ、さう、難しいのは、小說は每月の收入を必ず叩き出すわけではない、といふ事。それが一番の心配の種だらう。すると、働けば必ず報酬が得られる雇傭といふのはとてつもなく凄い事だと解る。必ず收入が得られる强制的な奉仕に就いて書くのと、收入に怯えながら書くのと、どちらが良いか――と、人氣とか實力とか知名度に拘らず、現狀はこの二擇でしかない。

小說家の獨り立ちとはファン搜しではあるが、これが身を結ぶかは判らないし、そもそも同業者が多い中で――自分の書いてゐるものが小說かも判らない、下手かも上手かも、ポルノか藝術アートかも。そんな狀態で、一日生きるだけの額が稼ぎ出せるかと言ふと、私には、文字通り絶望的な想像しか附かない。


昔とは違つた意味で――小說の必要とされない事を呪ふ人間がゐるとは誠皮肉である。それでも我々は書續けるだらう、書く事が我々にとつての娛樂である限り。

收入を得るなら、評價性より、投錢方式の方がまし(投稿の意味)

投稿サイトのプロフィールを考へてゐる時に感じるのが、不條理である――交流サイトなのに、交流不要と書く矛盾さね。ただ公開・頒布するだけなら自分のサイトで足りてゐるわけで、加へて懸念してゐるのが、やはり規約の事である。作品がどう扱はれるか。著作權は抛棄してゐるものの、外部サイトに揭載したら外部サイトの管理下にあるわけで……(實際のところ、投稿の利用には作者ではなく、サイト運營者に窓口を設けてゐる投稿サイトが多い)。自由な利用が妨げられないか、といふのが非常に心配である(外部サイト運營者が、作品に制約を設けはしないか)

さういつた自由の保護といふ意味で、私は外部サイトに賴る事は出來ないと言つて良い。

なので、活動全般で收入を得るとしたら、投稿(原稿を直接揭載する)サイトのシステムではなく、收入そのものに結び附くサービスを利用した方が良いと思つた。


そんな時丁度見附けたのがOFUSE™(オフセ)である。これ、見たところシンプルだし、凄く良い。好み。お金でメッセージを包むつていふコンセプトが穩やかで素敵。

OFUSE™(オフセ)はクリエイターへの「ありがとう」の気持ちを1文字2円で送れるファンレターサービスです。――んで、私は誰かにありがたうなんて言はれる事をしてゐるのか、と言はれると、してゐない。好きでやつてゐるだけだから。でも私が收入を得る上での許容策としては、今はこれしか無いのだ。メールアドレスで登錄出來ないのが難點ではあるが、まあそれも許容の範圍かな……。何らかの聯繫サービスを選ばないと(2020年4月27日現在は、TwitterFacebookGoogleのみ)。

そしたらさうだな、容量が氣になつて擧げられなかつた插繪や表紙もOFUSE內で公開出來るかな……笑。使ひ道が無いならどうせ消しちやふからね、かういふところで活かしておかないと。


OFUSEの他には、Amazonギフト券とかほしい物リストとか、支援する方法は色々。

2020年4月28日:OFUSE登錄してみた

sinumade.net - OFUSE™(オフセ)

そして、設置した途端恥づかしくなるやーつ。がばつと外したくなつた。自分の面倒は自分で見るよ、と言ひたくなる。無論、何にしても一人で生きてゐるわけではないが。


クリエイター、と皆は言ふのだが、私に關しては本當にちよこちよこしたいからやつてゐるただの人間なわけで、だからクリエイターかつて言はれると――いや――何と言ふのかな、必然な人とテンションが違ふだけに、困惑する場面が幾らか。本氣とやらでない私がかういふサービスを利用して良いのか、さういふ懸念、呵責もある。

2020年4月28日:もううじうじしない

私の命とは sinumade.net であり私が生きてゐるといふ事は、sinumade.net が保持されてゐる、といふ事である。

だから私がどれ程に自墮落であらうと、サイトの更新がぴたりとまうと、そんな事は關係無いのだ。

コンテンツはどれ程に時間が經たうと價値を持つ。だから消してはいけないし、永年にわたつて保持されるべきである。


新規の讀者は現在にも未來にも幾らでもゐるし、管理者の獨斷でサイトの價値を決め附けてしまふ事は、不特定の(過去・現在・未來の)讀者を無視する、といふ事でもある。

私は個人であれ集團であれサイトを消して欲しくないと思つてゐるし、一度公開した物を保持する事は、公開した者としての責任だと思つてゐる。


うん、さうなんだよ、ではなくて、既存あるいは未來の資源なんだよ。保持されるべきはね。それが私の永遠に生きるといふ事の意味であり願ひではなかつたか。

あー、さうなんだ、かうだつたんだな、納得。そしたら呵責も消えた。私自身はともかく、sinumade.net 群に關しては、絶對に遺しておくべきなんです!と言へる。讀者としての、利用者としての私がまだ一人ゐるんだ。絶對に遺しておくべき私が。

ではなく sinumade.net の價値としての寄附。


いや、ファンレターサービス寄附(金)として見る呵責もあるけれどね。意義が出來た事で、少しは晴れた。それも。

2020年4月28日:OFUSEアカウント、削除

……時間が經つ程に、恥づかしいといふ想ひが募る。この數日の勢ひでやつてしまつたとしか思へない。そしてリンクを置く場所も無い――各々のサイトに全く關係無いではないか。

私に(寄附を受けるだけの)緊急性が無いし、本當に氣持が惡い。私の生活は――これ程までに滿ち足りてゐて――もし生活が逼迫したとなつたら、BOOTHででも何か販賣しよう。その方が餘程幸福。私に何が缺けてゐると言ふだらう?

大體、メールがあるのにファンレターサービスなんて……馬鹿げてゐる。それなら純粹に決濟サービスの方が良いではないか。さういふ欺瞞。不誠實。


所詮私は發行者として負け犬だ(身分を明かさないといふ意味で)。何もかも中途半端で、賴りなげで。


公開物の削除には、かうした外部サイトのアカウントも含まれる。私は噓を吐いた。辯解の餘地は無い。(とは言へ、OFUSEされても困るんで、完全に絶つた)


OFUSE自體は良いサービスだと思ふ、ちよつとしたサイトの擧動と、聯繫サービスの必須なのが不滿なだけで。


寄附口を設けてしまふと、何をやつても甘えと媚びになる。加へて、私は感謝を知らない人間だからな!

すつきりした。元の自分に戾れ……

參考

問題提起。隨分と上記の記事には動搖させられて來たが、一晩寢たらすつきりした。樂に生きるといふ、そもそもの生活方針を見出せたのであるし、この熟考は良い學びだつた。


ただ働きする事について散々書かれてゐるが、寧ろ奉仕では駄目なのですか、と。私と彼らとでは創作で食べていく事への執著度が違ふから論點がずれてゐるか知れないが、私はかうして生きてゐられて、自分が感じたり考へたり出來て、しかも公開出來るといふ事自體が奇蹟に近いと思つてゐる。それに無料の資源には散々助けられて來た。投錢しない人の氣持は解るし、私自身その態度を貫いてゐる。だから私が收入を求める事は、非常に蟲が良い話だと思つてゐる。

創作家の行く末なんて私も判らない、でも一錢も稼げなかつたとしても、エリザベス・ギルバートの言ふやうにほかのことをしてちゃんと食べていけているBIG MAGIC 「夢中になる」ことからはじめよう。)のだし、幸ひ書き物は五分でも一分でもペンと紙さへあれば走り書が出來るのだ。充分幸福な事ではないか。


人をハイエナだの、だの疫病神だと言ふ人もゐるが――疲れてゐるのだらうな、と思ふ。皆、疲れてゐる。

(でも、正直に讀者を好きになれないと書くのは凄い事、淸々しい事だと思ふ)


後もう一つ勵みを得られたとしたら、小說讀んでない他人の文章に興味無い寧ろ小說に關心が無いといつた事を、小說を書いてゐても堂々と言つても良い、といふ事だらうか。あ、同じ人ゐたんだ!といふ氣附きがここに。

2020年5月1日:諦める

つまり、稼げない必要とされない事への解答が、仕事にしなくても良いぢやない、つてのが私。異世界轉生だの惡役令孃だのハーレムだの、さうしないとヴューが得られないつてのなら、私は潔く諦めるね笑。詩の世界なんてもつと求められてないし。私の求めてゐるものが世間に求められてゐないと言ふなら、それまでだ。文句なんて言つたつて仕方が無い。

一人の人間に深く響くものが、必ずしも利益になるとは限らない。いや、誕生した事自體、感情を呼び起せる事自體利益なんてものを越えた奇蹟だと思ふ。

創作つて自分の爲のものだ。飯を食ふものでないから、寧ろ稼げないのは當然――創作の性質といふ氣がする。値段が附けられてゐる事の方が稀有で異常。人を勵ましたり笑はせたりする創作は充分に在ると思ふけれども、それは――その反應が得られた時點で(需要と供給がぴつたりと合つた、互ひの)利益ではないのか――

もう私には解らないよ、根つから創作に金を拂ふ(そして賣る)事が解らないよ。確かに本を買つたり、誰かがデザインした日用品を買つたりする事もあるけれどさ……解らないなあ。價値が解らないつて思つたら(言はれたら)それまでなんだもの。他人の要望に合せて自分が糞つまんないと思ふ作品創る、つてそんな苦行、創作以外で働くのとどう違ふの? と。見た目としての創るといふ行爲(評價)に固執してるだけでしよ、と。

人間そのものが受容れられるのが難しいやうに、創作が(生活が維持出來る程度の收入源としての)人々に受容れられるつて、有り得ないやうな氣がするんだけど。

稼ぐ爲に私はかういふ人間なんですつて主張するの虛しくない? 虛しくないのか。さうしなきや收入に結び附かないといふ理由でされる行爲が、私には苦痛で仕方が無い。全然自由な生き方でも何でも無いぢやんそれつて。


投錢箱を置いておくのは、讀者にその金を入れる箱を突附けてゐる氣がしてならない。多分讀者は呆然とするだらう。あなたが思ふ額を入れて下さいえ、これつて金を拂ふ程のものだつたの?

それなら最初から有料で提示した方が誠實といふ氣がする。でも、さうするとコンテンツを讀者から隱す事になつてしまふし、多くメタ情報しか記錄に遺らないから厭だ。


價値、價値――上記のリンク先を見て思ふのは、金を拂はないなら讀者ではない――金を拂はない人間に價値は無いと言つて(言はれて)ゐるやうで、厭なんだ。金が人間や、創作そのものの基準になつていくといふ、その醜さが耐へられない。


私の價値觀として、創作は專ら創り手(の魂)を救ふ爲にある。

だからこそ賣るのはスリルがあるし、賣れたら一入嬉しいものである(寄る邊のお裾分け)。

でも賣れなくて憤慨するのはお門違ひであると、私は感じてしまふ。他人が見る爲のものですらないよ(他人に向けて創つたとしてもね)。


こんなんだから、一生商賣なんて出來ない、理解なんて出來ない。出來てゐる人を嫉んで終り。

2020年5月1日:餘談:誰にでも出來る仕事があるのは有難い事

上記の人間にとつて、誰にでも出來る仕事は救ひ。

寧ろ創作家こそかういふ没個性的な仕事が向いてゐるのではないか。生活に必要な分だけ働いてゐれば、それ程時間は取られないし。出勤してゐればお金貰へるつて、ほんと凄い事だからね。

實感

纏め

收入について

創作について

2020年4月28日:なぜ寄附ツールなのか?

2020年4月28日:なぜ寄附口を設けるのか