ハナシニウム後書

  1. 圖らずも「生死」といふテーマが眞に服せよと被つた。
  2. 生きたいとは思つてゐるが、死にたいとは考へてもゐない。より嚴密には、「生きたい」とすら思つてゐないが、「生きていく」といふ前提、無意識があるままに「生きてゐる」。ただ生きてゐる
  3. 17作からマークアップを簡略化したが、rp要素(讀みの括り)は復活させた。プレーンテキスト(テキストブラウザ)で見ると讀み辛いので。置換するだけだから樂だつた。
  4. 地名を入れるかどうか惱んだが、一般に流通してゐる小說つて具體な地名を含んでゐる事が多いので、そのままに。讀者と空間を共有する。
  5. 「コミケ」も入れるか惱んだんだが、「イベント」「卽賣會」ではぼんやりしてゐて、口語(意識の流れ)として不自然な感じがしてなあ。「コミケ」の三文字がしつくり來るのでそのままにしてゐる。「コミティア」や「文学フリマ」でも良いけど、知名度的には「コミケ」が斷トツ。業界用語をぽんと出しても疑問が殘るだけでな。
  6. テーマ的なものは詩でもちよつと觸れたんだが、今度は小說に。
  7. 私たちが知らないだけで、勿論家庭で創作してゐた人はゐたらう。知らないし痕跡も無かつたら、最初から「無い」やうに感じてしまふけれども。インターネットがあつても、いつかはドメインの所有者は變るし、サーバー(コンテンツ)も消える。私らが生きた後には、何も殘らない。だから出版を考へる。
  8. 浮浪者云々は都會だらうが田舍だらうが同じだがね。關心や救濟といふ點では、寧ろ都會の方が發展してゐる。田舍で見掛けないのは、田舍で浮浪すると生きていけないから(自分で生產するのでない限り)。
  9. 「話に生む」、タイトルは氣に入つてゐる。片假名にすると植物つぽいな。
  10. 頭から被つて手の中で握り締めたつて冗長だらうか。でも意識の流れ(身體の感覺)としては自然だらうな。語感としても。

ハナシニウム補足・改訂履歷

  1. 2023年3月26日:公開