「COMITIA149」所感

目次

  1. ビッグサイトと早過ぎる案內
  2. カタログと見本誌
  3. 何を求めたか
  4. 卽賣會で⻝ふオムそば
  5. 逃した獲物と變り種
  6. 反省點
  7. 作家のプロバイダ
  8. 「參加」する意義
  9. 「所有」する事の恐怖心
  10. 君にPR!
  11. 描く樂しみ
  12. 2024年10月20日:後書

ビッグサイトと早過ぎる案內

その日は幸ひによく晴れた曇の日で、濕氣はあつたかも知れないが、炎天下より遙かにマシな天候だつた。帽子を被つて行つたが、ゆりかもめ「東京ビッグサイト驛」からは日陰を步いて行けたので、殆どお荷物の狀態だつた笑。初めて「ビッグサイト」といふところに行く。この逆三角形の巨大なオブジェは奇觀だつた。あたかも別世界の異物だ。皆あれを目指して行くんだなあ。舞臺からして幻想的である。TRC(東京流通センター)では、手前のモノレールに乘る人は皆文学フリマ目當てだつたので、今囘もCOMITIA目當ての人ばかりで埋め盡されるのだらう、と思つたらさうでもなかつた。時間をずらして行つたのも要因だつたかも知れない(十二時過ぎに到著)。館內は打つて變つてひんやり(歸る頃には「暑い」)。ホールは廣大で、案內も大きく張出されてゐたので、迷ふ事無く進む、が……。戶惑つたのは左側を通つて東4・5・6ホールへ、といふCOMITIAの案內だ。その案內から左といふと、レストラン街に出てしまふ。だがその通りに階段を降りて、出口が一つしか無いから外に出てみるも、これは違ふだらうなと。同じく外に出てすぐ中に戾つた人がゐたが、その人もCOMITIA目當てだつたのではないだらうか。ちよつと步いて、交差點や、喫煙所にも出てみたが、やつぱり違ふなと。で中に戾つて案內を無視して眞つ直ぐ進んでいくと、又も同じ案內がある。奧に「東」展示場のマークがある。なるほど……。案內、早く出し過ぎ。ビッグサイトに行つた事が無い人はレストラン街に出てしまふだらう、あれは。やつと東ホールの手前までやつて來るも、早速カタログ購入、とは行かず、まづはコンビニでおにぎりを買つて一息吐く。朝から何も⻝べてゐなかつたのだ。

カタログと見本誌

カタログは千五百圓である。情け無い話だが、自販機で飮物を買ふ度千圓札を崩してゐた(本當は水筒を持つて來るべきだが、飮物はどこで補充すれば良いんだらう)。まづ驚いたのが、カタログの分厚さで、これは確かに「マガジン」を名乘れる厚さだ。代表・吉田雄平氏の挨拶から始まり、Push&Review(參加者による作品感想)、特集、CM、そしてサークルカットへと繫がつていく(左開きだとティアズマガジン、右開きだとコミティアガイドになり、コミティアへようこそといふ案內漫畫から始まる)。氣になつたサークルカットを見附けたらページの端を折つていつたが、訪ねるサークルは既に決めてゐて、ノートにメモしてゐた。會場配置圖を赤く塗り潰し、つひに入場へ。まあ、廣いわな。一面を見たと思つても、奧にまだ机がある。途中から配置圖が切離せる事に氣附き、それを片手にうろうろしてゐた。見たいジャンル、SFや文藝、動物を見に行つたらすぐに歸らうかと思つてゐたが、結局、「イラスト」配置以外は見てしまつた氣がする。意外にも見本誌コーナーには行かなかつた。人數制限があつたからだ。驚いたのが、栅で圍まれ、警備員が配置されてゐた事笑。大規模になるとかうなるんだなあ。流通センターとは全然違つた。

何を求めたか

買つたのはロボットの設定集。それから不意の風景イラストや寫眞集など。目を引くのでつい足を止めてしまふのだ。漫畫は「ロボットもの」以外買はないつもりだつたが、薄いのを三册と繪本が一册、そしてガレットを買つた。ガレットワークスのスペース(配置:い44b)に行つたら最新號がどんとそれだけ積まれてゐて、「これ下さい」と言ふだけだつた笑。百合の漫畫は、ネットで見る事はあつたけれど、買ふのは初めて。漫畫をまともに買つたり讀んだりしたのはいつ振りだつたらうか。ティアズマガジンより厚い本は買はないだらうなとは思つてゐたが、買つた中ではガレットが一番分厚かつた。できればBLも買ひたかつたが、何分好みの幅が狹いしジャンルの傾向にも疎いので、何を手に取れば良いのか分らず。イケメンは何と言ふか、恥づかしい笑。中年親父ものを見せてもらつたが、今一私の好みとは合はず。でもちやんと「中年」層をごりごり描いてゐる人がゐて安心した。歸りに驛ナカの書店にも寄つたが、かういふ場でBLを買ふのはまだ抵抗があるんだよな。ただ、好きな「中年もの」はCOMITIAの方が見附け易いかなとは思つた。表紙買ひに近いのは麻辣胡辣湯(配置:A74b)で、ゲームにも出て來さうな恰好良いイラストが氣に入つた。既刋の中身を見(こつちは半分閉ぢられてゐて見られなかつた)、新刋の奇譚の回廊をぱらぱら見て、買つた。外國の方と飜譯漫畫、といふ事でちよつと抵抗や不安があつたんだけれども、好奇心の方がまさつた。家で讀んでから續きものではなく、讀切りの短篇集と氣附く笑。初めての私にはちやうど良かつた。

BLに關してはJ.GARDEN(オリジナルオンリー)といふ機會があり、有難い事に機械×人間の作品を出してゐるサークルも見附けられたので、來月一般參加するつもりだ。

卽賣會で⻝ふオムそば

スプラウト(キッチンカー、東5ホール)のオムそばを、ホールの隅で平らげる。蓋が無いつて事はここで⻝べよといふ事なんだらうけれど、坐り込んだり飮⻝したり、といふのはマナー的にどうなんだらうか。案內に書かれてゐたつけ……。と思ひつつ退場するのも面倒なので、周りの人に交じつてオムそばを啜つてゐた。(坐り込みは禁止)

氣附けば十五時である。歸りたいといふ氣持と(訪ねようと思つてゐたスペースを)まだ見たいといふ氣持もあり、再び步き始める。

逃した獲物と變り種

フォーマルハウト(配置:こ11b)のスペース設営を支える技術關聯の書籍は、前の人がゐなくなるまでうろうろしてゐたら、いつの間にか完賣。せつかく「完賣ですか」つて聲掛けたんだから、「150も出ますか」とか「樂しみにしてます(お疲れ樣です)」くらゐは言へば良かつた。FrontView(COMITIAによるサークルインタビュー)にも載つてゐたサテライト37(配置:D43a)同人女の感情は今囘は見送り。コミティア魂にも出演してゐたドイスボランチ(配置:E39b)は、机に乘つかつてゐた作品がよく分らなかつたのでこれも見送つてゐた。聲掛ければ良かつたかなあ。COMITIA139のFrontViewで取上げられてゐた12月32日(配置:A82b)は、見附ける事ができず……。逃した獲物は少なくない。そして十五時になると撤退してしまふサークルもちらほら出て來る。絶對に廻りたいサークルがあるなら餘裕を持つて會場に到著した方が良いだらうな。

變つたところだとAtelier Clutch(配置:こ09a)の卽賣會會場の溫度・濕度計測とか。實際スペースでも計測中だつた。まあ名前の端でも覺えておけば後で探せるだらう、と思つてゐたけれど、やつぱり頭のメモといふのは保存期間が短過ぎるので、歸つてからサークルカットを見直して「こんなサークルもあつたな!」と思ひ出した。氣になつたらきちんとメモ帳か、カタログにでも書込んでしまつた方が良い。人は忘れる。「著作權フリー素材」も壁際に配置されてゐたが、本當に「著作權フリー」なんだらうか。そこ、フリーカルチャーを支持する私としては、もうちよつと突つ込んでみても良かつたかも知れない。

十六時になる前には引上げたが、疲れてしまひ、廊下のベンチで休んでゐた。引返す行列が止むまで……と思つてゐたがいつまでも無くならない!笑 それも考へてみれば當然で、COMITIA以外にもイベントがあつて、終了時間が同じものだから、そりや人の氣配が無くならないわけだよな。その後にスタッフさんも續くわけだし。結局豫定時間より三十分遲れてゆりかもめに乘つた。

反省點

以前の反省から、今囘は斜め掛けバッグを持つて行つた。飮物など入れてゐるとぱんぱんに。でも何とか全部入つた。十册は買つても平氣。

購入した書籍やポストカードを包んでくれた方もゐるんだけれど、最終的にはゴミになつてしまふので、丁重に辭退した方が良いなと、これも以前卽賣會に參加した時思つた事だ。

あと、やつぱり重要なのはスペースの位置揭示だ。COMITIAが貼つたのかも知れないが、机の端々にあるスペース番號のシールは大變に助かつた。サークルの名前かスペース番號が分らなければ、探すのは困難を極める。次いで、スペースにしろサークルカットにしろ、せめて形式(漫畫とか小說とか)と傾向(ジャンル。SFとかエッセイとか)を書いてくれないと、手に取り難い。會場は混雜してゐるし、時間も限られてゐるので、中身が判り難いサークル・書籍は無視し勝ちである。それが寧ろ聲を掛ける切つ掛けになる、といふ人もゐるのだらうが。サークルカットを眺めてゐると、意外と文字が潰れてゐるカットが多く、反面敎師となつた。

2024年10月20日:カタログは、事前購入した方が良い。當日は見てゐる餘裕が無いから。サークル情報は「参加サークルリスト」からURLを抽出してはゐるが、ジャンルの配置も判らないし、何より數が多過ぎる(SNSや投稿サイトを排除しても六百件程)。FVやP&R、サークルカットをざつと眺めた方がまだ當りが附け易い。

作家のプロバイダ

各々の奧附を見て驚いたのは、聯絡先のメールアドレスが軒竝みGmailつて事かな(頒布書籍の責任所在といふ事で、サービスの名前は伏せない)。無料サービスの知名度つていふ事になると、さうなるのかね。と言つて、何を奬められるものでもないから、本當に困つたもんだ。

「參加」する意義

元々私は「漫畫」といふのが苦手で、讀む習慣も無ければ、讀み方すらよく分らないのだが、今囘一般參加に踏切つたのはやはり自分が出展したかつたから、刺戟が欲しかつたから、といふのがある。雰圍氣に浸りたかつた。表現が漫畫であれ何であれ、「オリジナルの創作」にこだはつてゐるCOMITIAに興味があつたのだ。實際、そこにあるのは漫畫だけではない。寧ろ「何でもあり」かと思ふ。プロアマ隔てなく、描きたい事を描いてゐる人々がゐる。——とは言へ、「讀みたい作品がある」と確信できなければ、私は參加しなかつた。その點で、YASHIMAさん(架空世界広告社、配置:E12a)の存在には感謝してゐる。

COMITIAの特殊的なのは、一般參加する讀者にも「役割」を自覺させてゐる事だらうか。他のイベントも確かに「感想を書きませう」「讀み手・書き手と交流しませう」とは言ふのだが、イベントの趣旨として强く打出される事は無く、漠然とした槪念——「理想形」として存在するだけだ。そこをCOMITIAは眞つ直ぐ斬附ける。作家の本音である「反應の不在」を突附ける。反映させるシステム(P&R)がある。相互に生き、長くやつていかうといふ氣槪が感じられるのだ。だから私などは敷居が高いと感じて來たし、今も感じてゐる部分がある。P&Rに見られるコメントは情熱的だし、皆眞面目だ。ここならもしかすると感想をもらへるかも知れない、と豫感すらしてしまふ。なぜこれが他の卽賣會でもできないのかとも思ふ。特に文藝に關しては、漫畫などの視覺表現に較べると讀者が少なく、感想をもらふ機會が壓倒的に少ない。ティアズマガジンのやうにイベント主催者側が取上げたり、感想の行き來を促進しなければ、縮小していく一方ではないか。恐らく、文学フリマのやうな「大手」に求められてゐるのはそんな役割ではないだらうか。まあ、誰もやらないなら、それこそ「できる人」がやつていくしかないのであるが。


いや。漫畫は讀まないと言つたが、私は漫畫も讀まないし、イラストも見ないし、小說も讀まないのである。だから、殆ど、何も見ない。そんな日常から逸脫する機會が、COMITIAを初めとした展示會・卽賣會だつた。創作を續けていく上での「息繼ぎ」と言つた方が良いだらうか。人間不在の交流など存在しないやうに、創作不在の創作も存在しない。だからここに參加する事で、私は人間としての私を取戾さうと、あるいは變化させようとしてゐるのかも知れない。

「所有」する事の恐怖心

私は何かを「買ふ」事、「所有」する事に消極的だ。それが餘り意味の無い事と心得てゐるからだ。心と金錢を消耗すると心得てゐるからだ。だから、何かを買ふ事は恐い事だ。何かを追ふ事は恐い事だ。それに金も時間も、集中するエネルギーも取られてしまふ。だから、餘り買はない事にしてゐる。だから、心を奪はれないやうに用心してゐる。

何かに觸れるには、代償が必要だ。その管理が煩はしくて、私は、卽賣會に近附かないのかも知れない。

何かを買ひ續けるのは、苦行だ。活力のある人々にしかできない事だ。


背景しきさいや美少女を手に入れる必要は無い。私が參照するのは、物語だ。

君にPR!

誌面揭載を狙つて130字まで削ると、中身を說明するだけの凡庸な文章になつてしまふ。皆紹介しつつ感想もきちんと書いてゐて、上手いなあ。短文投稿に慣れてゐるからか。Webに全文揭載されるとは言へ、私自身ティアズマガジンで知つた作品も幾らかあり、宣傳效果を考へると誌面を狙ひたい。

何にしろ、「テキスト」で情報提供するのは非常に重要だ。なぜなら、畫像は檢索(機械が情報を抽出)できないからだ。故に、文学フリマやもじのイチだけでなく、他の卽賣會もカタログは記入式にしてもらひたいところだ。2024年10月20日:それか、J.GARDENの新刊情報掲示板のやうな催しがあると非常に有難い。

同じ本に2票以上投票はできないといふ事は、1册1票といふ事だよな。イラスト投稿もしようとしてゐたから危なかつた。「以上」など直感的に判り難い表記はせず「同じ本には1票だけ」と書けば良いのにな。

描く樂しみ

實はこの後に漫畫を描いてみた。初めてだつたし、下手だつたけど、樂しかつた。やはりシュールといふか、ギャグ(開き直り)路線が私は描き易いらしい。淸書できたら良いんだがなあ。箱すらまともに描けないよ。

2024年10月20日:後書

「誰かが實際に讀むかも知れない」、と考へるのは良い緊張感がある。私は聯絡する事で、自分の文章へ誰かを連れて行く事ができる。そこが、Webのすごいところだな。彼らは讀むか讀まないか、自分で決められる。急かされる事も無い。「見えない」つてのが一番良いところだ。他人(特に作者)の眼に觸れるなら、少しでも公平フェアに書かうといふ氣になる。

いや、すぐに追記しようと思つたら二箇月以上も經つてしまつた。特に作品の所感を訂正できてゐなかつたのは申譯無いと思つてゐる。

躍動する創作

作品所感で言及した「一步先を想像する」とはティアズマガジン149にも載つてゐた事だな。「一コマ先の自由 〜マンガとコミティアの今、これから〜」前編といふ特集があるのだが、そこで栗原良幸さんがたとえば、コミティアで売っているような建物だけを描いているイラストレーションでも、「そのイラストの一コマ先」を想像させるような絵だと、ものすごく面白い読み物になるんです。(54P)と言つてゐる。「燃え」とか「萌え」とかいふのは、描寫そのものに觸發される事もあるが、敢へて「作品が好き」と言ふ時は、讀者が描寫の「前後」を想像して、胸をときめかせてゐる時ではないかと思つた。描寫からどんどん「好き」を聯想していつて、勝手に萌えて勝手に悶えてゐる。俗に「心を動かす」とも、より具體には「想像を畊す」とも言へる。讀者が「動く」のだ。

マークアップ

hr要素(話題の區切)を用ゐるくらゐなら、章立てした方が良いと思つた。その方が讀み易く、段落も明確になる。公開當日中の追記はセーフつて事で目に見える形では記載してゐないが(讀み難くもある)、以降は日附を記載。

「感想」を書く

reviewは「批評」の意だが、COMITIAはPush&Reviewを感想とか紹介文とか言つてみたりする。一體どつちなんだ! 感想(思つた事・感じた事)と批評(指摘・論評)と紹介文では、書き方も書ける事も違つて來る。COMITIAの意圖としては、いづれも募集してゐるつて事なんだらうが。

私が書いてゐるのは「感想」だ。しかし心に浮んだ事と言つても、「詰らない」と書くのは容易過ぎるし建設的でもないので、もう少し深堀りしようとは心掛けてゐる。それでも「客觀的に」書く事は無理だけどな。私が書くのは、あくまで私の願望である。

公開所感を書く度に、私には作品を見る眼が無い、と思ふ。そしていつも公開した事を後悔してゐる。「噓」は無いにしろ、私に見えてゐるものは殆ど無い——作品を讀解く能力ちからが無い(ばかりか、畫に添へられた短文さへも讀めない)のだ。そこが劣等感、申譯無さに繫がつてゐる。それでも書續けるのは、私の心の搖らぎを「形」として殘したいからだ。世界中の人々に、こんな作品があるんだと傳へたいからだ。