インターフェース(326)シリーズ8篇で出展しようと計畫してゐたが、その間にJ.GARDEN56に一般參加し、その熱量と勢ひに押されて、「これは!」とサークル出展を決めた。そして、J.GARDENに出展するための原稿を書き始めた。それがやつと、12〜13日間掛けて(下書が)完成したので、ここでかうして雜記を書く。
しかし、元々さうやつて書き始めた原稿も、途中になつて色々考へた結果、「普通に」コミティアに出展する事にした。私はジャンルに向けて書いてゐるわけではなく、書いた結果として「○○と言へなくもない」ものになつてゐるに過ぎないからだ。私自身が作品の解釋を「固定化」するのが一番厭なのだ、笑。「女同士」に關しても、意圖的に絡ませるコンセプト、目標みたいなものがあつたとしても、「百合」や「GL」といつたもののために書いてゐるわけではなく、純粹に私の樂しみ(苦しみ)のために書いてゐるだけだ。普段書いてゐるものを出展するとしたら「百合」ジャンルで參加したいといふ慾はあるものの、もしイベントの參加規定が「百合・GL系作品のみ」だつたら、私は參加しないし、できないと思ふ。例へ「百合」の定義が、「女同士の關係」といふ廣義であつたとしてもだ。私はジャンルに、書くものの內容を縛られたくないのだ。描寫對象が女(に見えるもの)でなければならないとか、男(に見えるもの)が介入する事に抵抗を感じるやうであつては、ならないのだ。私は私自身を檢閱したくない。だから、「ジャンル(作品傾向)」のイベントには參加できない、と感じた。
とは言へ、實際のJ.GARDENはすごく自由で、「こんな作品が出展できるなら、私の書いたものだつて」と思はないでもない笑。なぜそんなにサークルとして參加したいかと言ふと、J.GARDENの雰圍氣、「熱意」が好きだからだ。言つてしまへば“戀愛”ジャンル主體のこの「狹義」のイベントは私にとり苦しみではあるが、同時に、一部の書き手は私の慾望を程良く滿たしてくれるのであり笑、そこに私も竝びたいと思つたのだ。人外!!! ロボット!!! もつと增えろ……!!! 增えなければ、私が書くしかない笑。理想を表現できるだけの筆力が無いにしても。きつとそこにゐる人々は、私と一緖に萌えてくれるだらう、この悅びを、慾望を、理解してくれるだらう、といふ氣持があるのだ。わくわくしてしまふ。
勿論、作品の解釋は自由だし、どう捉へてもらつても全く構はないが、第一の讀者である私は、作品をJUNE・BL系とは思つてゐないのだ。それどころか、JUNEもBLもよく理解してゐない。ただ、好きなキャラクター(の絡み)が男(に見えるもの)だつた、といふ結果でしかない。そのやうな感じで、進んでBLを探す、といふ事は、今まで無かつた。「百合」はよく探索するのだが……。
今年は人間の男同士で書いてみたりしたが、結局「これぢやないな」といふしつくり來ない感じがして女同士で書直し、話が詰らないなと思つて、更にSF(326シリーズ)で書直すといふ事をしてゐた。でもその「女」もすごく透過的で、一人稱なのだが視點者に關しては女の「を」の字も出て來ない。そして「女」と解釋されなくても良いといふ話を書いてゐた。その次、326の合間に書いた話は逆で、「女」といふのを强調する、普段書いてゐるやうな話を書いた。
私が「男(に見えるもの)」を書くのは小つ恥づかしく、生活の詳細や心情など書加へてゐると、どうしても「噓を吐いてゐる」感じがしてしまふ。讀んでゐる時も同じやうに、色眼鏡で見てしまふ。私には「まだ」早いといふ事かも知れない。
確かに326シリーズに出て來るプログラムは「男」あるいは「女」に見えるかも知れないが、正眞正銘、“彼ら”には性別が無い。それは人間だけの、人間のための槪念だ。だから、敢へて“彼ら”にジェンダーを押附けるとしたら、「無い」といふ事になる。そこに女、男、他別種の性を宛てがふのがどれだけ酷で醜惡な事か、一部の人は想像できると思ふ。この作品の嬉しい事は、主要キャラクターがジェンダー/セックスに囚はれないところであり、そんな世界觀を描いても良いのだ、と思へる事だ。
私は新たな原稿を、「J.GARDENに出展するつもりが無くてもかう書いてゐた」と證明するためだけに、ここでかうして書いてゐる笑。結局「解釋」が恐いのだ。
別段、プログラムが自認としても機能としても、「性別」を主張する事に、私は頓著しない。ただ、人間と「同化」する事に危機感を抱くプログラムを書きたかつただけだ。人類の發展を支援するのが彼らの存在意義だとしたなら、彼ら自身が人間と同化してしまつたら、それは存在意義を搖るがす事にならないか? さう假定したのである。人間と同樣に自我を持ち、思考し、思想があり、獨立した種族と自覺するなら、「奴隸」で居續ける事はできない。昔からSF作品では「人間」にならうとするプログラムが描かれて來たので、それに對する反撥もあるかも知れない。
實際、一部のプログラマは人間に近いプログラムを作らうとしてゐる。だがそれは「仕事」をさせるためであつて、「一人の人間」を築くのが目的ではない。明日には自分の元を去るどころか、生命を奪ひかねない、自律した「人間」を創造する事に、何か意味があるだらうか。その生產をコントロールする事に? 「パートナーになつてくれるかも知れない」といふ期待は、「命令」によつてのみ、忠實に實行される。人間には許されず、物には許される强制力である。人間を奴隸から解放するために、代りに物が奴隸を引受ける。「奴隸からの解放」故に、プログラムは文明の利器なのだ。
早い話が、「奴隸」でなかつたら、プログラムに存在意義は無い。
「生存」する戰略としての「奴隸」をプログラムは指向するかも知れず、そんな“ギスギス”な「日常」を描くのが326シリーズである。(多分な)
でも、せつかく手元に申込書があるのだから薄い小說創作JUNE・BL系同人作品
つて何!? つて感じだが、要するに自分が萌える作品なら何でも良いのでは……「男」に見えるものが出てゐたら何でも良いのでは……などといふ考へがぐるぐる廻る。何のためにイベントが存在するか、つて言つたら、創作JUNE・BL系同人作品
が讀みたい人、見せたい人のためにあるのだ。その趣旨でいくと、堂々と宣言する事のできない私は不適當な人間だ。私は「好きなキャラクター・シチュエーションがあるなら」BLのスペースに行くといふ人間なだけなので。56で性癖に刺さつたサークルは2件だけだつたんだが、1件もあれば上等だよな。で、そのサークルさんと肩を竝べて頒布するならかういふ作品だよなあ、といふのはある。人外が足りねえんだよお……!!!笑
「萌えを共有する場」としての趣旨なら、何も間違つてはゐない。「百合」のやうな廣義、つまり「男(に見えるもの)同士の關係」として捉へるなら私にも書けさうだし出展できさうではある。
J.GARDENで初めてコピー本を買つて、「あ、かういふ感じでも良いんだ」と勇氣と勢ひをもらつた。私は18禁(セックスシーン)は書けない・書かないから主に「會話
ともあれ、COMITIA151(2025年2月16日開催)からサークル名「Agonal CODE」で參加豫定。今度こそ刷つて頒布するぞ〜
最終的に、J.GARDENには出展しない事にした。掌篇をちよこちよこ書いてゐるが、やはり「目」を意識してしまふのだ。もつと自然體に、自由に書きたい。だからジャンルには縛られない。そのイベントは、自然に書ける人のためにあるものだ。(「選集」なら書いた後だから樂だし、後々參加する可能性はある)
昔から、「ジャンル」の典型を意識して書いたものは糞になつてしまふので、私は抗はず書ける事を書けるだけ書くしかなかつた。「ジャンル」は、あくまで「私が讀者であつたら、目當ての作品をどう探すか」といふ指標でしかなかつた。ロボットキャラクターを探すならSFを當るのが妥當だらう。他に適當なジャンルがあるだらうか?
好きなキャラクターについても、「機械系人外」「SF系人外」と說明するのが無難なところだ。ロボットは人間の被造物で機械だが、サイボーグは機械と融合してゐるものの「人間」そして生物である(よつて、サイボーグを「人外」と表するかは微妙なところだ)。機械生命體は「ロボット」ではないし、もつと特殊なところだと情報生命體もゐる(これは電子的なものから思念のやうなものまで、多樣である)。Bloodborneの「姿なきオドン」は非常に形容し難い「人外」だ。フレーバーテキストによつて存在が、そして畫面には「結果」だけが描畫される。これらの存在を總稱するならば、「人外」としか言ひやうが無い。私はオドンのやうなタイプについては「槪念系人外」といふ語を考へてゐるが、漠然としてゐて分り難いのは言ふまでもない。さう、一言で言ふなら、人智を越えた存在。
自由文化作品を推す者として、自由でない二次創作を許容してゐるイベントには參加しない(創作オンリーと併催してゐる場合も、かなり消極的に捉へてゐる)。
もじのイチは小規模で良いイベントと思ふが、參加申込を外部に委託してゐるため、サークルとしての參加豫定は無し。TAMAコミは評判が良いのだが、二次創作を許容してをり、出展者に「二次創作がメインの出展物」と發言してゐる人がゐて、幻滅した(まあさうなるわな)。
J.GARDENの良いところは、新刊情報掲示板がある事、開催當日に小說本文のサンプルが揭示される事! JUNE・BL系作品書いてる人は是非參加してみてくれ〜