新刋嫌ひ

關心が無いもの、讀まないものを買ふ必要は無い、といふ當り前な事に氣附く。

見本誌コーナー、見本誌読書会で充分だな。金錢的に支援したかつたら寄附すれば良い(展示卽賣會は現金で渡せるから一番樂)。

漫畫も小說も讀みたいものなんて無いし……强ひて「昂奮するもの」があるといふだけでね。小說は何とか讀まうと强迫觀念を持つてゐる部分はある。それでも同人誌なんかより、神保町で買つたくつさい本の方が餘程眞劍に讀んでるんだよなあ。60年代のミステリは60年代でしか書けなかつたし、飜譯小說は外國語×日本語によつてしか書かれない。私の趣味つて“新刋”には無いんだよなあ……(機械系人外が新刋にしかない事も認める)

生活が簡單になる程に、そこで吐出される言葉も淺はかになつていく。私の求めるものは現代ここには無いんだよ……

まあね、繪にしろ文にしろ、良いアーティスト、良い思想家はゐるが、私は誰か/何かを“追ふ”のには疲れたよ。氣力體力財產諸々、もう盡きてゐる。「手に入れる」なんて傲慢で妄想なんだよ。追つ掛けつてのは不毛だ。

こんな調子だから、展示卽賣會に出展しますだなんて、何やつてんだ、と申込が濟んでから思ふんだよな。ある時は素晴しいが、又ある時はとんでもない事だ。私に見せびらかすものなどあるのか? そしてどうしようといふのだ? 目的が無いから意欲も湧かない。いや、敷布や名刺や表紙のデザインを考へる事自體が、樂しいのだ。人を驚かせるのも好きなんだ。それが辛うじての社交性だね。

現代人の書いたものを讀まなければならない理由なんて、無かつた。