「フリマ・オークション出品、轉賣、再配布、複製禁止」にはうんざりする

誰とも共有できず、捨てる事しかできない書籍が相當數刷られてゐるかと思ふと氣が滅入る。何と短命な資源なんだ……

權利問題が發生する二次創作等の場合は著者が隱したがるのも解るが、權利をクリアした作品で流通を制限する意圖が解らない。

私は法以上に嚴しい制約の作品を買つてゐたといふ事に、やつと氣附いた。奧附に添へられたたつた一行の文章で、貴重な資源を消費して作り出した物の壽命サイクルが決つてしまふ——人々の叡智までも。

私がプロプライエタリなソフトウェアを排斥するのは、それ自身が私への裏切り——「信用」を證明する事ができず、人々の知的活動を制限するからだが、(ソフトウェア以外の)創作作品に關しては、ライセンスを氣にする事無く觀たり買つたりして來た。しかし、制約の大き過ぎる作品には「害」があると、今日改めて感じた。壽命が短くては、まづ書籍の制作に費やした資源に對して割りに合はないし、人々が觸れる機會を減じる事にもなる。まだ埃さへ被つた事の無い、「綺麗」な本を捨てる抵抗が、私の中にはある。さうして「手放す」事に二の足を踏んでゐると、私室はどんどん狹く、重くなつていく——誰にとつても良い事は無いのだ。ボイコットするには充分ではないか。

買はずに發行者の手に留めておいた方が、物としては「長生き」するかも知れないといふのは、とんだ皮肉だ。「一瞬でも役目(=人に讀まれる)を果した方が、世界に貢獻できてゐる」と主張する人もゐるだらうが、そんなやり方を何萬人が通してゐてはさすがに限界だ。皆が眞似て、「使ひ捨て」の書籍がこれ以上增える事は、智慧の幅を狹める事は、私の本意ではない。

このやうな作品を支持してゐても未來は無いし、實際、發行者は未來を閉ざす事を希望してゐる。智慧や敎養の共有・發展を阻害する事で、彼らは利益を得てゐる、あるいは得るだらうと確信してゐる。それが何なのか、私には理解できないが、私は、可能な限り人々と創造を共有する未來を希望する。だから、實踐するのだ。

法で定められた以上に、利用の幅を狹める作品を、私は買はない。「買へない」のではない、「買はない」のだ。私はその條件を飮む事ができないのだから。

どうしても觀てみたい作家の作品はあるが、まあ、昨日までそれ無しで生きて來たんだ、今日それ無しで積んだ德の方が、ずつと難しくて簡單ではないかね?

2024年11月24日:後書

フリマ・オークション禁止は、「轉賣」が原因だらうといふのは、何となく想像できる。私はその「問題」に全く疎いのではあるが。

この記事の主題は「サークルチケット」だが、偶然見附けたので取上げておく。私が驚いたのは、Webページ全般を「コミティア150」で檢索したら、サークルチケット賣買のページが上がつて來た事だ。コミティアは「スペース」の讓渡、サークル通行証の有償讓渡を禁止してゐる。例へばスタジオYOUはサークル活動の支援(手傳ひ・賣り子・買ひ子等)なら讓渡は可としてゐる。私もその範圍なら、サークルチケットの「趣旨」には反してゐないと考へる。コミティアは用途を問はず有償讓渡を禁じ、それでも有償で讓渡するサークルがゐるつて事は、“元”を取りたいんだな、そのサークルは。

誰もが「稼ぎたい」

話を戾して——フリマ・オークションに出品されたものを購入すると、サークルを經由しないから、サークルの利益にならない。だが「流通」にはなる。不要になつたからと言つてサークルに返還するわけにもいかないし(やつても良い——といふか、サークルが囘收して「中古」を頒布しても良いんだよな)、欲しい人に讓渡する事は(物の壽命を延ばすといふ點でも、創造を共有するといふ點でも)適切な循環かと思ふ。他の日用品でそれができて自主發行の册子だけができない・してはならない道理は無い。又、誰もがサークルの提示する方法で頒布物を購入・受領できるわけでもない。

ただ、異常に高騰な値段を附けて購買欲を煽るのは、私も快くは思はない。それは同人誌に限らず、何でもだ。

非サークル關係者のフリマ・オークション出品を購入すると、サークルがイベント出展や通販をしてゐても賣れなくなる——これの何が問題かと言ふと、やはりサークル(發行者、出版者)が儲からなくなる事だが、出版業者はどう解決してゐるのか? ……つて檢索すると、これ「解決」してないといふか、色々意見がある。普通に「(讀んだら)捨てる」つて人がゐてびつくりした。どんだけ資源無駄にすれば氣が濟むんだ……恐ろしい事ぢやない? 刷つたら刷つただけ使ひ捨てつて……そりやいつかは「捨てる」事になるのは明白だが、大して汚れてもゐない、「用」を足せる紙を大量に廢棄するつていふのは……。リサイクルにもそれなりのエネルギーを消費するつて事を考へると、「そのまま」利用できるのが一番良い。

これ、金の問題が解決したら「長く遣ひませう」つて言ふわけでしよ? ほんと人間つていふのはよ、紙の一枚も刷る事が「大問題」になつてから大騷ぎするんだ、畜生が。

「人間の」利益

「禁止する人の氣持も分らなくもない」つて書かうとしたが、やつぱり私には理解できない。私は「稼がなくても良い」人間だから、金の問題については眞劍に考へられない。

自由文化作品の推奬者で、出版や流通、報酬(金錢)にも關心がある人が眞劍に考察してくれれば、といふのが私の希望ではあるが、そんな人がゐるだらうか。ゐるにはゐるんだらうが、見附けて意見を讀む苦勞が私にはできない。

その頒布物の總合的な環境負荷に對して、我々地球人の行動が妥當かといふのは、全く、私には確信できない。そして何より、むごい事には、地球には人間以外の存在がゐて、彼らを卷込んで地球の死を早めようとしてゐる事だ。やはりその點で、人は人以外のものを理解できず、配慮できず、奴隸としてしか扱ふ事ができないのだといふ、私の捕捉に繫がつてゐる。

創作者の利益が、報酬が公平か云々の前に、まづ我々が消費した自然に對して公平かが拔けてゐるんだよな。

見えざる手

讀む自由、手に入れる自由、處分する自由、この自由が無い事にも、私は絶望してゐる。

皆「我慢」ができない。何とか、自分が生きてゐるうちに快樂を、そして報酬を受取りたいと渴望してゐる。だからDRMといふ、「性急」な發明にも飛附いたのだ。

まあ、遲かれ早かれ、「確實な利益」が欲しい人は作品を圍ひ込むし、それはベンダーロックインを見てもさうだし、Web黎明期の文言を見てもさうだつた。特許といふ槪念はまだ暫く續くだらうし、昔から、人々のやる事は變つてゐなかつた。ここに閉込めておけばいつでも觸れられる、人々はやつて來る、獨占なら唯一性を保證できるだらうといふ想定。

それは皆のものでない。

DRMについて

私の結論

「環境負荷のために儲け(創作活動)を諦めろと言ふのか」。さうだ。後々の多大な害を無視してまで影響力を振るひたい、などといふのは完全に人間のエゴだ。創作自體を續けられるなら、私は滿足だ。寧ろ「有難い」とすら思ふ。

諦めるとは大膽だが、代替案が無いならさうするしかない。諦めたくないなら模索する事だ。

推奬圖書はゼロ・ウェイスト・ホーム : ごみを出さないシンプルな暮らし(ISBN:978-4-87758-751-2)。私はこの中で提示される1%も實行できてゐないが、敢へてゴミを增やす道理は無いと考へてゐる。

サークルが唯一の版元であるといふなら、不要品も囘收して中古で賣れ、讀めなくなるまで扱へつてんだ。——といふ事で、私のサークルは不要な頒布物を引取ります、中古でも頒布します。パブリックドメインなので、勿論、誰もが販賣、複製、改變できます。

2024年11月25日:なるほど、中古品を反復して販賣するには「古物商許可」が必要なのか……つて調べたら試驗など無くて「申請」するだけ。大抵の人は取得できるぢやないか!(支障があるとすれば「營業所」か。その他、取引相手の確認や、帳簿の記載等義務が發生するので、“氣輕”に賣買ができるわけではない)

ベア・ジョンソン著、服部雄一郎譯 ゼロ・ウェイスト・ホーム : ごみを出さないシンプルな暮らしはじめにより:

紙でしか讀まない人もゐるし、私自身さうで、紙の出版自體を否定するつもりは無いが、私は使ひ捨てにしかならないものを配るつもりも、又手に入れるつもりも、全く無い。本は元來、もつと長生きできるのだ。