さうしない作家がこのやうな事を言ふ時、私は「噓を吐け」と思ふ。連中は自分の稼ぎと名譽の方がずつと大事なのだ。
いらすとやや“AI”畫像の普及を見れば、ブランディングや「作者」など必要無い事がよく判る。
有名になつても著作權を抛棄し續け、弘吿も揭載しない作家はLeo Babautaくらゐしか知らない。(How I Conduct My Business、The Culture of Free, and The Power of Lessも參照)
データを公開せず、納本もしてゐないなら、作家が死ねば作品もそれで終りである。本當に「自己滿足」の出版だつたといふわけだ。彼らの言ふ「多くの人に」とは何だつたのか。
皆が發表したものは、そのうちパブリックドメインになるのだが(相續人や出版社が妨げる可能性はある)、作品そのものが見附からなければどうにもならない。
私は何度か間違ひを犯してゐて、特にKindle(電子書籍出版サービス)で出版したのは致命的な過ちだつた。無名な人間の小說など誰も買はないのだから、無料で、誰もがアクセスできる場所で公開した方が良かつたのだ。さうでなくとも、讀者はKindleで配信された原稿を所有する事ができない。結局、元のデータも喪失し、絶版にしてしまつた。