後片附け

今になつてやつとCOMITIA151サークル參加で使つた道具の整理をした。名札を處分する時が一番痛みが伴つたが、結局、買物する時も(それは個人の活動だ)、トイレに行く時も(これも個人の事情だ)、外して行つたし、裏に書いた聯絡先を見せる機會も無かつた。不要だつたのだ。新刋のPOPや机に貼附けてゐたビラなど……。あれもこれも、せつかく用意したのに、何にも繫がらなかつた。處分しながら思つたのは、結果が勞力に見合はなかつた、といふ事だつた。私は働き過ぎたのだ。作つてゐる間は樂しかつたが、終つてみれば虛しくなるだけだつた。

面倒なのもあつたが、次に參加するかも知れないと思つて、三月が過ぎてもずつと保管してゐた。筆子さんが言ふところの「野望ガラクタ」だ。

イベントの什器は大抵處分に手間が掛る物で、所有する事にはプレッシャーといふか、潛在的な不快感があつた。事實、私は困つてゐる。不便してゐる。苛々してゐる。處分が難しい事に。見通しの甘いまま買つてしまつた事に。

もし初めて展示卽賣會にサークル參加する人で、今後も參加し續ける事が分らないといふ人には、使ひ囘しの利かない物は買ふなと言ひたい。ポスタースタンドや名札、ブックカバー、カルトン、敷布など。どうしても利用したいなら借りた方が良い。

あと、紙は積極的に利用しない事を心に決めた(原稿のメモや推敲を除く)。どうせ整理できずに溜まつていくだけだから。自分の手に負へない。

サークル活動費、そして同人誌購入費を財布に戾すと、ほつとできた。何を買ふか分らない事に金錢を確保しておくのが、相當のストレスになつてゐた。私にとつては「高い」買物だつた。