行動の眞價

卽賣會にしろ檢索エンジンにしろ、注目を集めてどうするかつて話で、實際、自分のサイトは面白くもないし見易くもないので、氣心の知れた人間には紹介できるが、言ふなればその程度だ。

これ——私が生成したもの——は人々が注意を拂ふべきものではない。

私の創作が重要なのは、專ら、私にとつてのみだ。

私にとつて重要なのに價値が無い、といふのは不思議なんだが、ネットや卽賣會が讀者の注意の奪ひ合ひになつてゐる以上、私は馬鹿々々しいと感じざるを得ないのだ。そして見ず知らずの他人(と自分)の貴重な時間を削つてまで宣傳する價値は(自分の原稿には)無いと思つてゐる。人々が創造性を探求したかつたら(我々の成長を切に願つて書かれた)まともな原稿があるだらう——世界のどこかに。

貢獻と效果

例へば非中央集權化(分散化)Decentralization自由文化自由ソフトウェアのミッションはすごく重要で、構成員一人々々の存在が貴重なんだけれども、個人が中途半端な活動をするよりかは、長期的には、そのための組織(Electronic Frontier FoundationなりCreative CommonsなりFree Software Foundationなり、あるいはHyperbolaのやうな小さいが嚴格なコミュニティ)に貢獻した方がずつと有益だらうと思ふ。個人は運動を知る切つ掛けにはなれるし、等身大の人間を感じられるつて、運動を繼續するに當つては大切な事ではあるんだが……

運動の下敷きには日常生活があつて、個人的な活動でそれが弘まるのはあくまで副產物だ。少なくともそれ——自分の日常——を“宣傳”するつてのは私のスタイルではない。

創作活動が偉大なのは認めるが、どうせ金や時間を拂ふなら、もつと別の、目を背けるべきでない現實があるだらうと私は思つてしまふ。(私が目を背けてゐる人間なのは言ふまでもない。)

現實と意味

Jintrickさんぢやないけど、基本的に無視すべきコンテンツだよこれは。前夜 - JintrickのマイクロWeb日記

私が創作をやつてゐるのは非常に個人的な理由で、それをやつてゐないと他の不健全な事に足を突つ込んでしまふからだ。つまり生活するために書いてゐる。

卽賣會に參加しても、犧牲に見合ふだけのリターンが無い。といふのも、そもそも私はその參加に何も求めてはゐない——求められるものすら解つてゐないからだ。

參加して創作を讚美稱讚するといふ“憧れ”はあるが、會場で他の作家と「交流」するわけでなし——“頒布”するために作品や自分を面白く見せ掛けなきやならないつてのは苦痛以外の何物でもない。自由になるためにそこにゐる筈なのに、全く自由でない。愛想を振り撒いてこんな駄文を摑ませようと言ふのか。自分ですら面白いと思つてゐないものを?(私は書き終つたものには關心が無い)

しかし自分にとって大切なものって何だろうな。俺はもう十分貰ってきた。世界から搾取してきたといってもいい。これからは与える側でいいよ。もう貰うのはうんざり。そもそも、いつこの世から退場してもいいんだ。10 June 2024 - JintrickのマイクロWeb日記, 2024 夏

俺はよくよく考えた。自分も糞ザルの立派な構成員であることを自覚しつつ、心と体の健康は保ちながら、できる限り賢いサルの邪魔をせず、時に援護は惜しまず、いつでも退場できるよう全力で人生の目標に向かっていこう、と。20 October 2023 - JintrickのマイクロWeb日記, 2023 秋)——「餘生をどう過ごすか」を考へたら、この言葉が浮んできた。基本的に私は社會にとつてどうでも良い事ばかり生成してゐる。でもそれは私が人間としてこの死にゆく社會に存在する上で必要な事なのだ。「いつでも死ねるやうに」とは言ひながら、多くの事を投げ出したまま今日に至り、賢明でもなければ、自分の信じる正しさを實行する勇氣さへも無い。

私はアルコールはやつてゐないが、砂糖や歪んだ妄想、その他の自分が間違つてゐると思ふあらゆる事で感情を激して現實から目を背けてゐる。だから虛しさ、何かが間違つてゐるといふ感覺が生じるのは必然なのだらう。ある意味では、どのやうに時間を過ごしても、さして物事は變らないのかも知れない——とは言へ、敢へて冷淡に接する道理も無いのだが。

纏め:感覺といふ針

さう、“憧れ”はあるが、それが意味するところ、本當に自他の時間を遣ふ價値があるのかと言つたら、私は無いと思ふ。

その眞價を熟考する時點で“熱狂”もしてゐないし、私にとつては甚だ疑問の殘る行動なのだらう、「卽賣會に參加する」といふのは。

「本を殘す」といふエゴで動く事はできるが、そのプロセスが全く面白くない。不快。「そんな事に時間を遣ひたくない」といふ焦りがある。

私は個人には寄附しないと書いたが(作家として稼ぐといふ事)、これはもう性格上の問題なんだな。どうしても私には(特に著作權法が定める以上に嚴しい)ノンフリーな創作について正しいと思ふ事が、感じる事ができない。慈善團體や社會運動への獻金よりも、企業に對する投資の方が緊急性が高いとは信じられない。私の感覺がそれを許さない。