奧樣は眞魚後書

讀みはまなでもまぎよでも。元ネタ的には後者の方がきれいか。作品の情報入力にはちやんと假名を表記せにやならんので、マギョとしてゐるが、好きな方で良い。


有料作品の第一彈。夫が魚になつて、妻が大喜びする話(短篇、特に動きの無い話は粗筋を語るに困る)。展開に動きが見えず、ひたすらに人物の思考が驅け巡る、私の初期の作風に近い。といふか氣質そのもので、今でもこんな感じだ。最近は長篇や展開に動きのあるものを書いてゐるので(公開はずつと先)、この話は推敲中やきもきしてゐた。あまり好きな話ではないのだ。しかも初稿の出來が思ひの外酷く、販賣しよう!といふ意地が無ければ(又他者にした表明が無ければ)挫けてゐるところだつた。納得出來る水準まで持つていけたのは幸ひ。文章はいくらでも直す事が出來るので、締切を設けるのは折合ひをつけるといふ意味でもちやうど良かつた。

發賣は君ちんの一周年記念日。長い事有料で作品を公開する事に抵抗してきたが、やつと心の底の願ひを認め、Kindle出版に踏切つた。作家と名乘りたい見榮、競爭心、卑しい欲求は盡きないが、根源はやりたいといふ衝動である。それが簡單に出來るなら、樂しくてわくわくしてしまふなら、やつてしまはうといふ氣槪だつた。

一萬五千字といふのは掌篇から短篇の範圍で、それ程長くはないとされてはゐるけれど、私にとつては大變な道のり。主に編輯するといふ點から。書くのは頭を使はなくていいから簡單に出來るのだけれど、推敲はさうはいかない。常に氣を配つて、言葉の遣ひ方から話の構成、整合性の點檢までしなければならない。穴を埋めたつもりが別に穴が出來たり、何氣無く引いた言葉が間違つてゐたりするもんだから氣が拔けない(引つ剝がすをひつぺ返すと書くなど)。暫くすると執筆から推敲までの、全體としての書き方の癖みたいなものも分つてくる。私の初稿は本當に下書狀態で、ちよつと直せば公開出來るなんて狀態では決してない。二度目に原稿に向つて漸く(シーンを)見える見ようとするので、必ず何囘か書直す事になる。そして不備を直して、最後に削る。削るのも難しいけれど、讀直すと削れる箇所がいくらも出てくる。推敲では一番樂しい作業かもしれない。完成に近附いてもざわつくところがあつて、さういふのは消してしまつても問題無い事に氣附く。推敲に關して、キングの書くことについてを參考にしてゐたけれど、作業を重ねる程に、自分にしか通じないやり方がある事に氣附く。

Kindle出版に關しては倉下忠憲さんのKDPではじめる セルフ・パブリッシングを參考に。無料と有料の差別化、價格の附け方など惱む部分もあつたが、有料の作品については企劃――お題を出して、それに沿つて書いてみる事にした(小說を書く身としては精々テーマの決定、取材、執筆、スケジュール作成しかする事が無いので樂だつた。私は事前に章立てなど出來ない、苦笑)。最初は二編で二百圓にしようと考へてゐたが、先に書いた一篇があまりにも不出來で没にした。遲筆だし初めての販賣だし、スケジュール的にも一篇分の推敲期間しか取つてゐなかつたので、最終的にこの判斷は良かつたと言へる。表紙に關しては、凝つた繪を描くつもりでゐたが、時間も無かつたし、線もくにやくにやで上手く描けなくて、結局ああなつた笑。價格は金儲けの當ても無かつたのと出來映えから安めに。少數ページの小說(需要の高いジャンル)が二百圓三百圓で賣つてゐるものだから、さう高くも出來ないなと。


販賣作品の後書といふと、どう書いて良いのかも分らない。普段は作品の反省點などを書いてゐるから。しかし有料だからと言つて弱音を吐いてはいけないといふ事もないだらう、笑。思考(が多くを占める)作品で大事なのは、リアリティ(自然で率直な思考の運び)・正直さと、悟りである。だから出來るだけさうなるやう努めた。

言葉を直していつてゐると、文の繼ぎ目が自然かどうか不安になつてくる。送り假名も惱みどころ。私は普段略しがちだが、一般には讀み難いかもしれず、今囘は多めにした。

どんなに上手く書けてゐても、不要なら削除せねばならず、さういつた思ひ切りや處分については、學びになつた。眞面目に、時間を掛けて推敲するのは樂しく、自分を伸ばせる。


企劃のテーマは、私はお魚がきらひなの(もう一篇のタイトルでもあつた)。魚と聞いてまづ浮んだのは食卓の魚と、水槽の魚だつた。でも書いた二篇とも魚はきつかけに過ぎず、ある人間の悟り(いづれも既婚カップルの話だつた)に至るための手摺りでしかない。今囘魚をオチに出來たのは幸運(最後の一節は惱み拔いたが、音的にも內容的にもしつくり來るものに出會へなかつた)。

嫌ひな人物が、首尾良く人としての生を終へたら? それと知つて化身を殺せるか、自然の成行きに任せるのか? ……つてのは法的な觀點からの配偶者、(何らかの要素で――戀愛だつたり金だつたり)絆すもの、そして家族といふ、不思議な側面を持つてゐる(戀愛の要素が絡むと、家族といふ側面は最も希薄だ)。實際、生理的に受附けないからと言つてそこまで邪けんに出來るものなのか?(子供の頃にはよくしてゐたが、今では恐ろしくて出來ない――そのつもりでゐる) そこに必至の世話があつて被害者意識があるのなら、心はになるのだらう。夫婦といふ任意の關係性なら、離婚しろよ、と言ひたくなる笑。しかし主人公には一點だけ强烈なメリットがあつて、そのためにつまらない生活を共にしてゐる。これは結婚生活だけれど、かういふ自分を犧牲にしてゐるといふ自覺の關係つてのは仕事とか趣味とか、近所附合ひとか家族の世話とか、色々な場面で存在する。そしてそれから逃れたとしても、又別に現實的な問題が浮び上つてくる、と。そこへいくと戀愛や金といふのは一匙の砂糖にも似てゐる。樂にはしてくれるが、それ自體が駒を進めるわけではない。皆が苦しんで生きてゐるとは書きたくないけれど。少しでも樂になりたくて私は書いてゐる。戀愛や金よりはコントロールが利くものだからね、笑。


初見向けの自己紹介はありません。ここ――公開してゐるもの――が總てです。短く纏める言葉さへありません。槪要を見た方が早いでせう。


ここで一つの企劃が終つたが、創作の終りといふわけでもないし、して始まりですらない。次の日も書き掛けの小說を書き、溜めてゐた小說の推敲に手をつける。それだけ。

2019年8月27日:第2版公開

2019年8月27日:制約は表現の練習になる

みんなのかなづかひ投稿に向けて性描寫を削除してみたけれど、結構いけるもんだね。良い經驗になつた。全年齡向け(はつきり言つて私の書くものでは無理なんだが)に改訂するのは表現の良い練習になるね。

本當に意外なんだが、ごつそり削除してしまつても、展開に問題は無かつた。性描寫が主體でないお蔭だらう。(必要と判斷する文中での)露骨な表現はまろやかにした。

自分で書いた性表現ガイドラインがあるにも拘はらず、BOOTHのガイドラインを參考にしてゐた(性に関連したもの、あるいはそれを表現しており、性器の結・接合、あるいは性行為を想起させるものを表現してあるもの)。

お披露目は、2019年8月27日現在未定。

2019年8月27日:ふつうのこと

みんかなにこれからも投稿し續けるかは惱みどころ。正字正假名遣ひで書く人がゐて嬉しい一方で、みんかなには私の讀みたいものが無い。電子版の頒布が特典といふのも殘念なところ(はなごよみ 電子書籍ダウンロード)。サークルはなごよみの雰圍氣、ひいては同人界(とてつもなく廣くはあるのだが)に馴染めないといふのもある。私は書きたいだけ、といふ手に取れる形になる事、確實に人の眼に觸れる事、宣傳の意を込めて投稿してゐる。

でもはなごよみの恩惠は日常から受けてゐて、特に正字君は文章作成時の必須ツールになつてゐる。他に正字正假名遣ひでの文書作成方法(コンピュータによる旧字旧かな文書作成入門)や、リンク集、そもそも正字正假名遣ひを知るきつかけでもあつたから(嚴密には野嵜さんの闇黒日記)、その存在は貴重だし、有難い以上のものを感じてゐる。私の人生、書くものは變つてしまつたんだから。どんなに少數であつても人を變へてしまふといふのは、私が身をもつて體驗してしまつた。人の美的感覺つてのは何に反應するか分つたもんぢやなくて、自分でもこんなになるとは思つてなかつたんだ。

一方で――少數派である事は事實にしても、私は特別な事として扱つていきたくないのだ。正假名遣ひの同人にを感じるとしたら、このあたりだらう。皆が正假名遣ひをたつとぶ一方で、私は正假名遣ひといふ括りを嫌惡してゐる。私は(假名遣ひの原理について)理解しようと思つてゐないし、野嵜さんや押井さん程說かう弘めようといふ氣は無いのだ。私は私の樂しみのために書いてゐる。正字正假名遣ひは私にとつて大事だが、であればこそ何でも無いものだ。肌。

奧樣は眞魚補足・改訂履歷

  1. 2019年8月18日:公開
  2. 2019年8月26日:第2版公開