ビジネスと批評、SNS化する投稿サイトへの輕蔑

ノベルアップ+の良いところは、弘吿ではない方法で創作家に課金出來るところだ。

ポイントを購入して運營に金を入れ、ポイントを作品に附けて作家に金を入れる(但し、ある程度貯まらないと現金化出來ない)。

綺麗な金の流れだ。直線的で、無駄が無い。今まで何でこんなシステムが現れなかつたのだらう、と思ふ程。いや、あつたのかも知れないが、少なくとも小說投稿サイトでは無かつたのだらう――實際には、テキストなら詩でも日記でも書けるのだが。


では何故私が會員登錄して課金しないのかと言ふと、單純に投稿が面白くない(=好みの投稿が見附けられない)からだ。システム自體は良いので、運營のホビージャパンに寄附を申入れたいくらゐ。でも一槪に好きとか素晴しいとか言へないのが、プラットフォームの性といふか、人の淀みと言ふか。


スタンプとか140字のコメントつて、まんまLINETwitterの繼ぎ接ぎだらうと。エブリスタもさうだが、作品にコメントやらスタンプやら、作品本文とは何の結び附きの無いコンテンツを紛れ込ませるのは、作品を穢すやり方だと私は思ふ。何故皆、こんな作品の雰圍氣をぶち壞しにする事態を平然と見過ごし、それどころか加擔するのか。私にとつてそれはノイズ弘吿とさして變らない不愉快さだ。せめてなろうのやうに、讀者の反應は作品本文とは別ページに設けるべきだ。でなければ、私は許さない。


エッセイカテゴリやブログカテゴリを見ると、日記を書いてゐる人々もゐる。上記のコメントシステムの延長として、嘗ての揭示板的な側面も帶びてゐるのかなあ、と思つた。書き方も讀者に呼掛ける(=反應を求める)ものが多いやうに見える。

書く事にフォーカスした人々は、ブログサービスではなく、小說投稿サービスで書いてゐるのだ――さう、小說を書いてゐる片やではなく、エッセイをメインに活動してゐるユーザーもゐるのだ。――確かに、ブログサービスのコメントは一ブログの中で完結してしまふが、小說投稿サービスのコメントやレビュー(感想)は、サービストップページのレビュー一覽等にも載るし、作品の指標としてサービス內に周知・記錄される。反應を求める人々が移行するのも解る――小說投稿サイトも又、SNSの源流――繫がり――を帶びてゐるのだ。

讀者の反應が總て。SNS的動向が收束してゐる。最早小說は靜かに讀まれるだけではなくなつた。讀者は反應リアクションを求められ(仕向けられ)、著者は片つ端から聲を掛ける事に躍起になつてゐる。


著者を應援したかつたら閲覽/ポイント附與/コメント/レビュー/フォローしろ、と言ふのは、經濟を動かす爲に買物しろ、と言はれる感覺と似てゐる。私は必要な時にしか買物しないし、何なら自分で賄ふ事によつて、この買物する機會を減らさうとすらしてゐる。物を修繕して繰返し使ふ事や、自分で創意工夫する事、手元にある物で滿足する事は、經濟といふ、總てが數値化される世界では、非效率的で非生產的と見される。私は哀しくなる。心は無視される。


課金してポイントを附ける。でなければ、創作家と作品は豐かにならないと言ふ……。本當にさうだらうか? ……面白かつたお禮=對價としてポイントを附ける、確かにこれは全うだし、誠實だ。しかしこれが義務と化す事、創作界隈は豐かにならないぞ脅す事には、私は違和感を覺える。盛上げませう反應しませうと著者たちが奮鬪する事に、何か齟齬を感じる。

……そのやうな人々は、恐らくビジネスで作品を公開してゐる。反應を求めるといふのは、明らかな對價なのだ。好きでやつてゐる事だとしても、對價を求めれば、それはビジネス=契約になる。好きで店を開いてゐても、客からはきつちりと御代を取つてゐるやうに。何ら矛盾した事ではない。趣味はビジネスになり得るのだ。


私は恐らく、ビジネスが嫌ひだ。そして好きといふ神聖な領域に、ビジネスを持込まないで欲しいと思つてゐる。だから反撥が强いのだらう。無論、好きな事で對價を貰つて、生計を立てる事は、萬人共通の夢である(それを良しとするかは、それこそ個人の好き嫌ひである)。問題なのは、需要に齟齬が生じる時。既に滿足してゐる人間に對して、物を賣附けようとする事――又ビジネスをする人間に圍まれる事によつて、滿足に搖らぎが出る事だらう。ビジネスは更なる滿足を煽る事によつて成立する面もあるからだ。そして滿足をかなぐり捨ててビジネスに轉向すると、好き反應對價の狹間で苦しみ始める。――それが私の、經驗だつた。


私はこれからも、この點數の附け合ひによつて腐らんするコミュニティが嫌ひだらう。何故點數を附けたか、誰が點數を附けたか、が見えない限り、コミュニティそのものを評する事は出來ない。世界にとつて有益な創作物を選出する、といふ政治を實行してゐるにも拘らず、ユーザーにはその自覺も無く、專ら自らの利益といふ短命なスパンに固執し、評價を與へたユーザー(=コミュニティの構成員)・評價の基準・評價の責任主體といつた、評價の信賴性そのものに關はる透明性を確保しようともしない。

私は、評價の自覺の無い評價、評價の意義が崩壞した行爲を評價と稱する事を、輕蔑する。


思想無きコミュニティに未來は無いへ續く。

補足

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この文面からも判る通り、投稿サイトといふのは著者や作品を應援するサイトなのであつて、批評するサイトなのではない。――そもそも、私の需要とサイトの趣旨は、嚙み合つてゐなかつたといふ事だ。喧傳されるのは作品の質ではなく、作品を取卷く人間の氣持といふわけだ。だから作品の質なんて關係無い。作品の內容なんてどうだつて良い、といふ事だ。
その癖、我々は數値で示される人氣度質の高さに換算しがちだ。
澤山の作品があり、澤山の著者がをり、作品に烙印を押していく事は簡單だが、サイトで行ふ活動がユーザーの成長に上手く結び附くか、と言ふと、判らない。私は檢證を行ひたいと思ふ程、このコミュニティに、關心が無い。樂しみを感じないのだ。讀みたい作品も無ければ、近附きたい人間もゐない。
どのやうな作品も迎へられ、どのやうな著者も迎へられる。差異は無く、理由も無い。人は自分である必然性を求めていくものだと思つてゐたが、違ふのだらうか。