お返しでポイントを附ける著者には、讀者の視點が無い

ノベルアッププラスの応援コメント、スタンプ、ポイントについて・その2

 確かに俺は「社交辞令で応援スタンプを押している」と解釈されても仕方のないことをブログに書きました。これについては、べつに訂正もしないし言い訳もしません。実際に、そういうことをやってますから。ここまでは全部肯定します。

 ただ、「それって、そんなにやっちゃいけないことだったのかな。悪いことだったのかな」と思ってしまったわけです。

 あたりまえの話だと思いますけど、小説でもブログでもコラムでも、何かしら書いて、web小説サイトに掲載して、応援されたら、そりゃ、嬉しいわけですよ。

 で、嬉しい思いをしたら、こっちからもエールを送ろうと考えるのは普通なんじゃないかって気がするわけです。俺は前にべつのところで「お歳暮をもらったらお歳暮を贈るのが礼儀だ」なんて言ったりもしたんですけど。それに、「これは、俺を応援してくれた人が書いた話なんだよな」なんて思いながら読んだら、そりゃ、どうしたって特別なものに見えてくるでしょうし。

これが癪に障るのは、八方美人とか、日和見とかに見えるからだよ。應援してくれたから應援してあげるつてのは、(應援するなら)誰でも良い、つて事だから。多分渡邊裕多郎さんの周りにはこの投稿以降、ポイント目的の人が近附いてゐると思ふんだけれども、假に作品にも著者じぶんにも興味が無い人に圍まれて、彼は嬉しいのだらうか? 作品の地位向上に貢獻してゐるなら、他人の意圖などどうでも良いのだらうか?

お返しの問題はね、その當事者にしか利益が無いといふところ、この場合で言ふなら、讀者の面白い小說探しを、著者の馴合ひに卷込んでゐるといふ事なんだよ。讀者には著者同士の繫がりなんてどうでも良い――言はば、讀者は、著者の私情を押附けられてゐる。この絶望が解るか。ランキングに躍り出た作品が、實はただの著者同士の交流ポイントで成立つてゐた時の絶望が。それでもその著者がハッピーなら良いぢやないと開き直るなら、もう知らん。讀者など存在してゐないんだらう、こんな事を平氣でする人間には。


讀者は面白い作品が讀みたいんだよ、著者が讀ませたい作品ぢやなくてな。

點數を附け合ふ著者は、自らの獨善を自覺しろ。讀まれたい=目立ちたい著者の自慰に附合はされてゐる讀者の身にもなつてみろ。

馴合ふのは結構さ、でも數値といふ、讀書の指標になる記錄操作するのは誠實でないだろ?

長い眼で見て自分の首を絞める、といふ事が判つてゐない。ランキングに出てるの、いつも同じ作品/人ばつかりだよねつまんないのばつかりだよねつてなつたら、もう終りなんだよ。ああ、數字だけ見て、皆が面白いなら自分も面白いつてな自我を持たない人間なら別かも知れないけどな。


著者と讀者が共存してゐるコミュニティで、著者同士が馴合ひ出したら終りだ、といふ事がなろうエブリスタノベプラでよく解つた。

Webの縮圖だな、ほんと。


その他、怒りは『私言葉』後書に書いた。

應援連呼する人には、それで著者と讀者は成長出來たんですかね、と聞きたい。

著者同士の組織票、著者が仕込んだ出來レースなんて見たくないんだよ。つまり、投稿サイトでは書く(=點數を附けられる)事と讀む(=點數を附ける)事を兩立する人間、著者が德をする。投稿をしない讀者、所謂讀み專は、投稿サイトでは一番の弱者だ。讀み專が必要と言ひながら、讀み專を弱者たらしめてゐるのは、讀者を兼ねてゐる著者そのものである(讀み專が評價をしても――著者の數、つまり著者同士の評價數には絶對に逹しないから。挨拶とか禮儀とかいつた動機で附けられたポイント=作品とは何の關はりも無いポイントが上廻るのなら、讀み專が作品の質で評價をしたりレビューをしたりするのが馬鹿々々しく思へて來るのは當然だらう。自分が行動しても、何の實りにもならんのだから。好い加減、著者同士の馴合ひポイントが讀み專を失望させてゐると、氣附いたらどうなのだ?)。


讀者がゐないのは當然といふか、必要としてゐないんでせう? はつきり認めたらどうだ。

關聯

  1. 『私言葉』後書
  2. ビジネスと批評、SNS化する投稿サイトへの輕蔑
  3. 思想無きコミュニティに未來は無い
  4. ノベプラを捉へる