なぜ媒體は獨立してゐるべきか

關聯:

一言で言へば、獨裁的な媒體に出版を擔はせる事への批判である。又、システムを利用して生成されたデータの扱ひは曖昧で、なぜ公開コメントや非公開メッセージ、アクセス解析の結果などがダウンロードできないのか、說明してゐるプラットフォームを私は見た事が無い。ただ「解約すると削除されます」と言ふだけだ。理由は示されない。

總ての作家が個人サイトを持つべきとは言はないまでも、せめて對話できる相手と組むべきだ。

「プラットフォーム」の定義:外觀と機能が統一された、公開(出版)活動ができるサービスを意圖してゐる。“ブログ”、投稿サイト、SNSなど。參考:プラットホーム(platform)の意味・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書

“プラットフォーム”は仲間でも纏め役でもなく、支配者

まづ一つに、プラットフォーム(サービス提供者)とユーザー(サービス利用者)の力關係がある。一見すれば、規約の同意があれば兩者の關係は對等だ。だが實際には、プラットフォームは支配者として振舞ふ。自らの裁量でユーザーの行動を判斷し、「處理」する。規約も一方的に改訂できる。その上、屢々しばしばプラットフォームは決定についての說明を拒絶する。明日思ふままに作品が書けるかどうか、投稿した作品が存在するか、そもそもユーザーでゐられるか、といつた事はプラットフォームの氣分次第なのだ。もし彼らに平伏するならば、私たちは言葉を失ふ。私たちがありのまま存在する事を、プラットフォームは確約する事ができない。彼らが重視するのはブランドイメージ、檢索エンジン、そして收入である。だからこそ、讀書體驗を損なはうが、ユーザーに羞恥心を覺えさせようが、作品に破廉恥な弘吿を貼り附ける事ができる。プラットフォームにとつて、作品は弘吿を見せるためのお飾りに過ぎない。

一方で、ユーザーは作品を始めとするデータ(コメント、アクセス數など)を失ひたくないが故に、自由を抛棄する。だからプラットフォームは多機能で在り續け、ユーザーを依存させる(所有してゐるデータが多い程、ユーザーは解約を躊躇する)。
餘り意識は無いかも知れないが、ユーザーが日々の活動で生成してゐるデータは「資產」だ。資產は持運び易い方が良いし(ユーザーが場所に縛られずに濟む)、どこかに置くのなら自分の手元が良いに決つてゐる。ユーザーは多くのデータをプラットフォームに置いてゐるが、解約時に「取出す」事は殆どできないし、プラットフォームもこの貴重な資產を「さう」とは考へてゐない。

「ユーザー」は、作家も讀者も、總ての人を指す。獨裁的な媒體が出版を擔ふ事の弊害は、彼らの理不盡な仕打ちを「當り前」の事として認識するやうになつていく事で、これが人々の最大の不幸、媒體の大罪である。依存する程に堪へ、彼らの作法に躾けられる。

作品の出版――維持に關與できない事それ自體が問題

關聯:

上述の通り檢閲を受けるリスクもあるが、Webでの大問題は、URIの保守に關はれない事だ。リンクが壞れると、讀者がアクセスできなくなるだけでなく、リンク元の文書さへも壞してしまふ(つまり、Webそのものが壞れる)。殆どのプラットフォームは、ユーザーにURIを管理する權限を與へない。作品の壽命を決めるのは、プラットフォームだ。彼らに要望すべきは、讀書體驗の向上に加へ、出版者としての使命、作品の維持である。

獨自ドメインが許可されてゐたとしても、その可否も含めてプラットフォームの權限であるし、作品その他のデータは彼らのサーバーで保存されてゐたり、機能が改變されたり、弘吿やコメント等、作品以外の何かを插入されたりする不自由は免れない。

獨自ドメインは、プラットフォームが終了してもURIを保てる唯一の手段である(でなければプラットフォームのドメインを讓渡されるか)。

なぜ機能は獨立してゐるべきか

例へば――「投稿サイト」がテキストエディタ、レコメンデーション(推薦)、コメント、メッセージング(私信)、宣傳、賣買、ファンディング(集金)、コンテスト、アクセス解析などを備へてゐる必要は無い。